チャプルテペックで美術三昧な1日
1月21日
メキシコペソが絶妙な微妙さで残ってしまった。
ATMで軍資金を得るのだが手数料がかかるため、理想としては丁度使い切る程度の金額を下ろさなければならない。ある程度、物価などがわかれば何となくはわかろうが僕はいつも着いて早々の空港にあるATMで下ろす。
空港のATMは手数料が高いと言われるが町中よりは安全性が高いので利用している。
町中のATMは差込口にスキミング用のカードリーダーが差し込まれていたり、カードが抜けなくなるよう入念に細工されていることがある。
なので町中でATMを利用するなら、銀行の中にあり、かつ営業時間内でなければならない。さらに銀行を出たところにオトモダチになりたくないタイプが待ち伏せていることもあるため注意が必要なのだ。
ということで事前調べ(物価、平均月収等)で一人1日3000円ぐらい必要ではないかと考えた。これは宿泊費、移動費、食費、観光費を含む。一週間もいない予定なので二人分として30000円分のペソを引き出していた。
もう1泊すれば贅沢はできないが綺麗に使い切れそうなラインだったので、延泊することにした。人間こういう制限があればギリギリまで挑戦してしまうのが悲しい性なのだ。
チャプルテペック城
メトロに揺られチャプルテペックへ。こちらはメキシコシティ西側に位置する公園で多くの博物館や美術館がある。日本で言えば上野恩賜公園だ。パンダはいないがリスはそこら辺にいる。
チャプルテペックに向かうときの注意点としてメトロからの出口だ。高速道路やバスターミナルがごちゃごちゃしており、ものすごく迷った。
園内に入るとすぐにチャプルテペック城に向かう。きつい坂を登りきると立派なお城からメキシコシティが一望できる。
入場料59ペソ
かつて副王の宮殿だったらしいが見た目は要塞に近い。実際にアメリカとの戦争の時は最後の砦になった。正面にある噴水前にある6人の少年像はその戦争の時の英雄なのだという。
そしてなぜか噴水の中にバッタの像が。かなりリアルなトノサマバッタだ。園内の看板やレリーフにもバッタが描かれており、見つける度に石ノ森章太郎が脳内をバイクでかすめる。
あとで知ったが、チャプルテペックとは「バッタの丘」という意味なのだ。
城内はやんごとなき方々がおわしたところなので、贅をこらしたというかこじらしたというか見事な珍重品が溢れている。
スペインやフランスといった国に侵略されていた時代のものなので、この立派な椅子一つにしても多くのメキシコ人の血税であるのは言うまでもない。
城からはメキシコシティが一望できる。メキシコシティは想像をはるかに超えた大都会だった。高層ビル群が四方八方にあり、また新たなビルが建設中だ。大都市とは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
侵略時代に建てられた城の中は今やメキシコ独立時代以後の歴史を語る場でもある。
シケイロスなどの近代を代表する芸術家たちの歴史壁画が多数ある。これはメキシコに来たならば是非とも見ておくべきものだ。メキシコの壁画が外国人の自分でも引き込まれるのは、多くが文盲であった昔のメキシコ人の為に描かれていたというルーツがあるからだと思う。
壁画といえばミケランジェロなどの宗教画を思い浮かべるが、メキシコの壁画はメキシコ人が背負った歴史の宿命を語る場であるため西洋のものと意味合いが違う。
メキシコという国をたった1枚の絵で語ろうとする芸術家たちの情熱は計り知れないものがある。
国際人類学博物館
言わずと知れた巨大博物館。
館内は恐ろしく広い。人類学と評している通り、人間がまだお猿さんだったころから展示が始まる。
テオティワカンや正確な暦を創りだした文明の歴史を辿ることができる。
展示説明はスペイン語と英語だが日本とは全く違うベクトルのデザインは見ていてとても面白い。
色々な生き物が混ざり合ったグロテスクな生き物がいると思えば、癒し系の可愛らしいボケっとした顔の土偶もある。
翡翠の仮面は一番有名であろう。「これ、いくらするんだろう?」という感想しか浮かばないのが悲しい。
博物館を出ると何やら人だかりが。
カラフルな衣装を着たおじさんがよじよじ柱に登っていく。
カリン様に仙豆をもらいに行くのかと思うくらい高い柱だ。
おじさんは4人いてロープを腰に巻きくるくる回り始めたかと思うと、宙に飛び立ち笛を吹きながらますますくるくると回り始めた。おじさん達は遠心力により広がっていく。
なんてシュールな芸術だろうか。逆さ吊りでぶんぶん回転するおじさんにここまで民衆が熱狂するとは!
おじさん達はゆっくり地面に到達すると、自分たちがつけているビーズの飾りを売り歩いた。なんてタフなんだ。ビーズは買わなかったが、感激料をザルに入れた。
※食事をしてまた近くを通ると、おじさん達は回転していた。
近代美術館
園内は本当にバカっ広いのでかなり疲れたがメトロの方まで戻りやっと近代美術館についた。
ここにはフリーダの作品があるのだ。
フリーダは映画で見て初めて知ったくらいだったが、地獄の底から天国まで何回も往復するようなある意味芸術的な人生を送った女性だ。
絵のほとんどが自傷的でとにかく血が多い。フリーダ自身が交通事故の後遺症で一生苦しんだことにも関係があるようだ。そのグロテスクさがあまりにもリアルなところに強く惹き込まれる魅力があるのだろう。
近代美術館にあるのは「二人のフリーダ」
「二人のフリーダ」(1939年)が生まれた背景は、ディエゴとの離婚だった。
自画像の右側は、ディエゴに愛されているときのフリーダだ。・・・一本の血管が延び、二人のフリーダの心臓へと繋がっている。・・・しかしその血管は左側のビクトリア朝衣装のフリーダの心臓を潤してはいない。左側の心臓はひからびた空洞と化している。なぜならこのフリーダはもうディエゴに愛されていないからだ
リンク http://n-shuhei.net/masablog/2009/03/28_0952.php
本来有り得ないむき出しの心臓が違和感なく絵に浸透している。
その不自然な選択が究極の本音を現しているように思えるのだ。だから肉感的なリアルを感じるのではなかろうか。
嫁さんは映画を見て以来フリーダにお熱なので、珍しくワクワクしていた。フリーダは女性に人気があるだろう。「美貌と病苦と恋」という3拍子が備わっているからだ。日本で浅野温子くらいが主演でドラマにしたらおもしろそうかな?
近代美術館は建物自体がドーナツ型で近未来感が漂う。独創的なインテリアやメキシコの若手の作品などが展示されている。
実際にメキシコに来るまでは古代文明の芸術面しか知らなかったが、メキシコ近代芸術がここまでのレベルだとは思ってもみなかった。芸術はよくわからないが、鮮明に記憶に焼き付いている作品が幾つもある。帰国したらメキシコの美術本を買って少し勉強してみたいと思う。
その後、ローマ地区まで歩いて行くことに。
ローマ地区はメキシコシティのオサレスポットらしく、るるぶなんかで可愛く編集されそうな感じらしい。
実際に向かうもまたしてもかなり迷う。チャプルテペックのメトロは出口がこんがらがっているからだ。メキシコシティの道はちゃんと通りの名前が看板に書いてあるのだが、短い道や斜めの道がゴッチャになってしまうことが多い。
しっかりした登山靴を持っているのだが、街歩きは重くて疲れるので100均のスリッパで歩いているものだから足の裏が痛くてたまらない。クロックスのようなものを買っておいたほうが良かった。シャワーの時などサンダルは大活躍するからだ。
ローマ地区をひたすら歩くも、オサレな喫茶店や高級レストランばかりで完全に我々はお呼びでない。
道行く人々もオシャレで高級車がわんさか走っている。日本でもオサレスポットでは財布が浮いてしまうので、すぐさま退散することにした。
今日一日はかなり歩いた為、明日出発するペルーの下調べが完了しないまま、メキシコ最後の夜に呑まれていった。