「お山の上では・・・」 トレッキングを終えて

1月29日

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朝起きると遅ればせながら筋肉痛。

もう年かなあなんて二人で思いながらも、棒のような足でメルカド(市場)に向かう。

 

お山の上では、下界のすべてが実はたくさんの人間の労力と自然のエネルギーが混ざり合った計画的システムで構築されているということが身をもってわかる。

「喉が渇いたからコーラを買う。」

これだけでも何千何万という人間と人類の歴史の叡智、そして莫大な量の自然の恵を浪費して初めて冷たいコーラが飲めるのだ。

お山の上という人間の生活圏が及ばない、ある意味人工的な環境で初めてそのことが身にしみてわかるのだった。

 

というありがたみは下山すれば全く頭の片隅からも消え失せ、メルカドでマンゴーやジュースなどなど買い占め、宿で暴飲暴食、そして人類は過ちを繰り返すのであった。

 

 

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お山に1泊でもすれば、おもしろいことに普段の生活のなんと非効率なことがわかる。

朝起きて顔を洗って朝食をとって・・・という現代的な普通の生活リズムすら難解な数式の如く、無駄極まりない。

お山の上では明るくなったら起きて暗くなったら寝る。電気がないからだ。補給困難なお山の上では無駄なエネルギーなど存在しないからだ。

ご飯を作るにも簡素で時間優先、かつ高栄養なものを選んで作る。これもしかり、エネルギーと運搬コストの問題である。

お山の生活に要るもの要らないものは、それを持ち運ぶというコスト優先で選別される。しかしいくらコスト優先でもそれでは人間味がないので、個々人でコスト度外視の嗜好品をそっとバックパックにひねりこむ。酒だったり、タバコだったり、愛用の枕だったり。僕の場合は本だ。

山の生活で必要のないエネルギーの浪費物をわざわざ担いで持ち運ぶそのモノこそ、その人が必要とする最低限のモノである。

だから下界の生活とは、必要以上なことを無理やりやらされているのではないかとお山の上でいつも思うのだ。

 

お山とは違い、電気やガスや飲用できる水がスイッチひとつで手に入り、車や飛行機で人も物もどこまでも行ける。科学の進歩はありとあらゆるものを効率化できるようになり、あふれた時間を生み出した。

その時間こそ非効率を生み出しているのだと思うのだ。

お山の上ではお日様の下で住居を作り、少ない燃料で食事を賄い、一息つくまもなく道具の掃除や整備等々大忙しではあるが、すべて効率的で一切無駄のない生活を必然的に行わなければならない。

だからこそ、お山の上では下界の生活が非効率なことと思えてならないのだ。

浮いた時間を埋めるために、資本主義の歯車となってせっせと・・・・

 

 

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なんて妄想が飛躍するのがお山の上での最大な問題かもしれない。

そんなことはお構いなく、下界の非効率的で無駄な時間をカネを使ってのんべんだらりと過ごす無職旅人はメルカドでマンゴー2つをどうにか値切ろうと必死なのだった。