太平洋と牛と焚き火のチロエ国立公園
2月25日
全くの予備情報もないまま、チロエ国立公園へ向かう。
バスターミナルは広場から3ブロックほど北にある。
ちいさなおんぼろバスに乗り込み、クカオを目指す。
チロエ島の風景は絵本のようだ。
深い青色をした海と丘陵、そこには小人が住んでいそうなかわいい家。
牧歌的なやさしい色彩の小さな町がところどころにある。
乗合バスは顔なじみにキスをする人たちで和気あいあい。
幾分進むと車窓には巨大な湖が見えた。
湖周辺はキャンプ場やカヤックのレンタルがたくさんある。
のんびりしたバスは1時間半ほどで国立公園に到着した。
入場料を払い園内へ。
インフォメーションに向かう。
「あ、こんにちは。えっーと、スペイン語じゃあ・・・ダメですよね。」
急に現れた外国人にはにかみながらも何とか英語で説明するお兄さん。
地図を見てびっくり。めっちゃ狭い。
「軽いトレッキングできますよ。」
そう言っていたカストロのインフォメーションのお姉さん。
「軽い」というニュアンス。まさかここまで軽いとは思わなんだ。
トレッキングは3本ほど道があり、森を見るコースと海を見に行くコースに分かれる。
それも往復1時間ほど。
しかし、キャンプ場はよいところだった。
湖のほとりの森の中。ちゃんと水場もあるし少し行けばシャワーやカフェテリアがある。
しかも、焚き火OKなのだ。
テントを設営し、散歩でも行こうかと思っていたら、管理局のお兄さんが。
「テント代、1人5000ペソです。」
ま、まさかの5000という数字。
入場料と往復のバス代を入れたら、町で泊まるのと大差ない。さすがチリ価格だ。
ゆっくりしようと思っていたが、一泊5000ペソと短いトレッキングコースだったので1日で帰ることに。
そんなことで一気にトレッキングへ向かう。
森のコースの方は、景色というよりも植生を楽しむような道だった。知床五湖のように木道があり、変わった植物を愛でる。風流である。
トカゲもなかなか逃げない和んだトレッキングコースだ。
続いて海を見に行く。
1.5キロほど行けば太平洋だ。インフォメーションのお兄さん曰く、残念ながら肌寒いし水温が冷たいので泳げないようだ。
そしてなぜか牛がいる。
そして普通に泳いでいる。
そして太平洋がそこにあるのみ。
まさにここは日本からみると太平洋の裏側。
チリ地震で起きた津波が日本まで行くぐらいだから、海はつながっている。
夕方湖畔でゆっくりする。
とくにこれといった目ぼしいものはないが、何だかとても落ち着ける場所だ。
晩飯の儀。
初の焚き火である。
日本では焚き火がなかなかできない。
日本でたくさんの山に登ったが、焚き火は初めてなのだ。
しかも前の人の残り物の薪が少し置いてあった。
さらに枝を集める僕らを見かねてか、小さな子が薪をくれた。
母親にでも「持っていっておやり。」といわれたのか、薪をトトロのカンタ君ばりに渡し、すぐに走っていった。
かすれゆく記憶の中から焚き火のやり方を引っ張りだし、何とかやってみる。
なかなか火がつかない。
落ち葉に何とか火をつける。あとはとにかく四方八方からの火攻めだ。
気分は延暦寺を燃やし尽くす織田信長か、阿房宮を灰にした項羽か。
火は人を凶暴にする。
燃えろ燃えろ!落ち葉と枝をぶち込み続ける。
湿気ってなかなか火がつかない薪の野郎には火力で芯まで黒焦げにしてやらあ!!
と、言わんばかりの形相でせっせと落ち葉を投入しまくる。
戦争とは物量なのだ。日本人はそのことが骨の髄まで染みこんでいる。
圧倒的な火力の前についに薪は屈した。
燃え上がる火力調整一切なしの周富徳でも手こずりそうな炎の中で、嫁さんは必死に調理をする。
人類の歴史はここから始まったのだ。
拝火教信者となった僕は、唸りを上げる炎をニタニタと眺めていた。
北欧では焚き火シーンが延々と流れるだけの番組が好視聴率を取ったという。
焚き火の癒やし効果はちゃんと科学的に証明されているらしく、食事が終わったあともずっと眺めていたが全く飽きない。
日本ではなかなか焚き火などできたものではない。消すのがやたら惜しく、まるで息子を見守る父のように炎が消えないように最後の薪が果てるまで眺め続けた。
お陰で一張羅のダウンジャケットがスモークダウンジャケットになってしまったが、心地よく眠ることができた。
2月26日
もう80年近く前の今日、雪の帝都で起きた大事件。
「下士官ニ告グ。」という一言で消え去った若き革命家の無念を感じるまもなく、今日から激動の昭和史ばりの移動が始まる。
9時半、テント撤収
10時、バスでカストロへ向かう。
12時、カストロのバスターミナル着
13時、宿で荷物をもらい、バスターミナルへ向かう。
14時半、バスでプエルトモンに向かう。
19時、プエルトモン着。次の日のアルゼンチン・バリローチェまでのバスチケットを予約。
20時、プエルトモン宿泊。
目まぐるしい景色の変化とバスターミナル巡り。
悲しいかな国境越えとなると、開門時間があるので夜行バスがなかなか無いのだ。
ということでプエルトモンで嫁さんお手製ステーキを喰う。
なんてったってこれからアルゼンチン、そしてパタゴニア大バス移動が待っているのだから。