コロニアル・グエル教会堂とモロッコ入国で問題発生!!
3月29日
嫁がダウン。
想像に反したスペインの寒さ、連日のバルセロナ行脚、さらに物価高のストレス(クオリティの高い店や商品はあれども見ているだけという惨めさ&南米肉食生活からパンとパスタ中心の穀物生活への変化)が原因である。
しかし、バルセロナカード3日券は待ってはくれないのだ。
ガウディを見るために来た嫁は、ガウディ最高傑作ともいわれる『コロニア・グエル教会堂』を最後の最後に残していたのだ。
無常にも止められないバルセロナカードをしかと握り、止まらない鼻水をすすりながらスペイン広場へ地下鉄で向かう。
スペイン広場から近郊線に乗り換える。
マチュピチュ以来のちゃんとした電車。
地下から出たときは日本に帰ってきたかのような風景が見られた。
それにしても電車は心地よい。
日本は鉄道王国でもあるので、懐かしさを感じる。
一時間ほどでコロニア・グエル駅へ。
駅からインフォメーションまで300mほどあるが、足跡マークがそこまで続いているのでたどっていくだけで良い。茶色の建物が並ぶ道をとことこと歩く。
インフォメーションでは入場券8,5ユーロを支払うと日本語オーディオガイドを貸してくれる。
噛んでも全く意にかえさないお姉さんのガイドを聞きながらパンフレットを読むと衝撃的な事実が!
このコロニア・グエル教会堂はそもそもグエルの繊維工場の工業住宅地用に作られたものだという。ということはさっきから歩いてきた道にあったすべてがグエルの構想で作られた町であり、その象徴としての教会堂をガウディに任せたということだったのだ。
グエル公園と同じような当時としては革新的なアイデアだったようだ。
コロニア・グエルはバルセロナ市内にあった繊維工場をこの郊外に移転させ、新工場と社宅が自然と共存したグエルにとってのユートピアだった。
街全体がひとつの作品というあまりにもスケールのデカすぎる話が、抑揚のないお姉さんの殺風景な日本語で語られる。
他のガウディ作品が皆バルセロナの中心地に集まっているのに、このコロニア・グエル教会堂だけ離れた所にあるので「めんどくせぇなあ」なんて思っていた自分が恥ずかしい。
そんなコロニア・グエル教会堂は街自体も画期的だが、もちろん教会堂自体も当時としては革命的な建造物だった。
しかし、こちらも建設中止。
半地下にある教会内部は大部分が完成しているが、本当はサグラダファミリアのようなデザインの教会になる予定だった。ガウディは教会堂建設中止後、サグラダファミリア建設へと心血を注いだ。
なので外から見るとイマイチなんなのかよくわからない。
だが、タイルの装飾はガウディの代名詞であるあのデザインがお目見えしている。
内部に入るときまるで教会とは思えない奇抜な構造が眼前に広がる。
1つの石でできた曲がった大きな柱がUFOの底のような天井を支えている。カラフルなステンドグラスは未だかつて教会では見たことのないデザイン。曲がりくねった椅子は現代でもあまり見られない変わったものだ。なんだか宇宙ステーションのような建物だ。
ここにはガウディ建築のすべての要素が詰め込まれているらしく、そこで「ガウディの最高傑作」と云われるのだという。
とくに曲がった柱と天井のアーチの形状がガウディの天才的なデザイン性と計算力から作られたものであり、サグラダファミリアにも共通するものがある。
オーディオガイドお姉さんが横文字を何度も噛みながら構造について説明してくれるが、素人には何がどうなっているのかさっぱりわからない。
ここに初めてきた人たちはどう思ったのだろうか?
ステンドグラスから木漏れ日の淡い光が流れ込む
これ倒れないんだろうか?
屋上にでる。本来ここに教会が建つはずだったのだ。
半地下の内部だけですら常人には理解し難い芸術性を放っているのだから、完成していたらどんな印象をあたえるものだったのだろう。
ガウディの建築の大部分をざあーっと見た。
やはりあまりの予習不足でその凄さが何たるかすらわからなかった。
もっと勉強してくればよかったと後悔させられる。そんな追求心を湧きたてさせてしまうのがガウディの建築でありその哲学の魅力なのだと思う。
嫁さん大満足で風邪も少し治る。もうお腹いっぱいガウディを堪能したので、空っぽの財布も喜んでいるだろう。
実際にたくさんの作品を見たことで、ガウディの考えていたことの上澄みくらいは感じ取れたのではないかなと思ってみたりする。
※このおしゃれなお店はNespresso
嫁さんはそのまま宿に帰り、僕は街を彷徨く。
だいたい行き尽くした感はあるが、せっかくバルセロナカード最後の一日。余すことなく使ったろうじゃないか!
アントニ・タピエス美術館
カサ・バトリョすぐ横にある頭に針金の塊がある謎の美術館。
アントニ・タピエスとはバルセロナではガウディ並に認知されているらしい。
建物通りのへんてこ芸術珍品が並ぶ。
作品は何が言いたいかというより何をしたかったかすらわからない。
内部の作りがすごく変わっていて歩き回るには楽しかった。
フレデリクマレー美術館
カテドラル横の古い建物。
中はそれよりもっと古い色んなモノがところ狭しと置いてある。
磔地獄
スペイン版兵馬俑
ここは館内がだだっ広くて歩き回ることに。
疲労がピークにもかかわらず最後の最後でこんなダンジョンみたいなところに来てしまった。
バルセロナを・・・というかバルセロナカードを最大限楽しんだ3日間はこうして終わった。
3月30日
外は雨。
バルセロナの寒空はどんよりしている。
年間300日晴れだといわれているらしいが、見事最終日は雨だった。
嫁の風邪はひどくなり、我々の疲労も限界だったため郊外にあるダリ美術館は諦めた。
というかお金の方も半端ない使い方だったので、いそいそとモロッコに亡命することにした。
バルセロナは自炊をして夜中うるさいドミトリーに泊まれば一日2000円で暮らすことができる。
しかし、観光費が半端ない。
サッカー観戦チケットが52ユーロ、バルセロナカード3日券が42ユーロ、そしてガウディ建築関連が1施設8~15ユーロ、他にも美術館に行ったのでチケット代だけで150ユーロ近い大出血。
さらに長距離バス代も高い。ちなみに国内移動はなんと飛行機のほうが安い。格安LCCがビュンビュン飛んでいる。
バルセロナはカンプ・ノウでのサッカー観戦とガウディ巡りが叶い申し分なかったが、完全な赤字なので南部スペインは諦めた。
このあとスペインには大変お世話になる予定なので。
ということでチェックアウトまでゆっくりし、久しぶりのフル装備を担いでカタルーニャ広場へ。
小雨の中、高そうなバルやレストランを窓越しから覗きつつ、ケンタッキーで長居する。
モロッコはカサブランカ国際空港までのフライトはAM2時半から。安かった分、新聞配達のバイトが利用するような時間設定。
カタルーニャ広場の空港バスに乗り、バルセロナの町とおさらばする。
空港で時間を潰してエアアラビアにチェックイン。
「第3国に抜けるチケットありますか?」
受付のお姉さんにいわれた。
航空会社に聞かれたのは初めてだ。
我々はカネがないくせに、十分楽しんだと思ってから飛行機の予約を入れるというリッチな旅をしている。
ほとんどの旅行者はある程度の予定を決め、予め航空チケットを予約している。そうすればかなり安くチケットが買えるからだ。
でも僕は予定が詰まっていると楽しめないタチなのだ。つまらなかったらすぐ飛んでいくし、楽しかったら飽きるまで住み着く。だから直前予約になってしまい、普通の人よりお高いチケットを買っている。
※直前のほうが安い時もある
でもたまに入国のときに「出国便のチケットを見せろ!」なんて聞かれるのでいつも「あっしらは陸路で次の国に抜けるんでさあ」ということにしていた。これなら大抵納得してくれる。
なのでお姉さんに船でスペインに帰るといった。
「じゃあそのチケットありますか?」
「え?ないですよ。」
「モロッコは第3国に抜けるチケットがないと入国できないんです。」
「陸路からの出国でも?」
「はい。」
「どうしてもダメ?」
「はい。」
まさかのこの旅2回目の急いでチケットを買わなければならないことに。
生憎バルセロナ空港ではWIFIが15分無料のものしか飛んでいない。
15分で急いで形だけ取ろうとするも、入力終了直後になぜかやり直しになってしまい敢え無くタイムオーバー。
泣く泣く45分の通信を4.5ユーロで購入。
パリ行きの最安チケット6000円を買い、なんとかチェックインするも今度は荷物代の請求。
エアアラビアでは手ぶらか小さい荷物以外は有料なのだ。チケット購入の際にそれらしい記入欄があったのだが、無視していたけど世の中そんなに甘くはなくやはり有料だった。お姉さんのスペイン語訛りの英語がよくわからなかったので、どういう基準でそうなのかさっぱりだ。もっと料金を取られるところだったのだが、お姉さんが「内緒よ!」といって嫁の荷物を少し僕の荷物に入れてごまかし、荷物代を浮かさせてくれた。結局30ユーロの出費。
こういうことは続くものだ。
モロッコはパソコンやカメラを一人が2台以上持っていると販売目的とされて税金を取られると聞いていた。なので嫁にタブレットを預けていた。
まだWIFIが使えるのでタブレットを使おうとしたら嫁のダウンジャケットのポケットのジッパーが食い込み動かなくなった。結局直すのに時間がかかり、WIFIは使えずじまい。
ヘトヘトになって飛行機に乗り込む。
もちろん安LCCなのでどんなサービスも有料。
2時半に飛び立ち、寝入った頃に到着。
身から出た錆とはいえかなりハードな一日だった。