バックパッカーが日本社会へ順応するまで~①燃え尽き症候群と現実逃避期

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11ヶ月27カ国の世界一周の旅。

僕はこの旅のために5年もの時間をかけてきた。

いや、この旅に行き着くまでのことを考えると、今までの人生の集大成であったとも言える。

今まで経験してきたすべてのこと、読んできたすべての本、見てきたすべての映画、そんなことが世界一周の旅に導いてくれたような気がするからだ。

そんな世界一周の旅を終えて、色々考えることがあった。

今回はバックパッカーが社会復帰するまでの葛藤をシリーズで綴ってみよう。

 

 

 

28歳にして人生の燃え尽き症候群

社会人になってからの5年半というのはすべてこの旅のためにあったといっても過言ではない。お金を貯めたり、旅行のことを調べたり、海外に予行演習旅行してみたりの5年半。都会でのひとり暮らし、そして奨学金を返済しながらの日々だった。

 

「すべて」とは言い過ぎではなかろうか?

否、働き始めて半年で僕は社会にうんざりしていたからだ。

(以前にも書いたが)僕は日本社会不適合野郎だとすぐさま判明した。

僕の性根の曲がった性格上、自分の好きなことと以外は何一つやりたくないという廃人まっしぐらのピーターパン症候群患者だった。

 

だからこそ旅はこの5年もの間、常に目標であった。旅に行きたいという思いがあったからこそ腐らずに働くことができた。

 

そんな夢の様な世界一周の旅は終わった。

 

 

 

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『いや、終わりじゃねえよ!!!』

 

燃え尽きちったよ!とっつぁん!!

あ~なんてことだ。何もやる気が起きない。

 

 

働く?

11ヶ月も遊び呆けてて?11ヶ月も好きなことだけしてて?1ヶ月まるまるバカンス休暇があるフランス人の友だちができて?労働意欲皆無の東南アジアを旅して?昼寝ばっかりして家族でのんびり過ごすスペインの田舎を歩いて?

 

日本で働く?

世界一有給を取らない世界一働き者で世界一のクオリティーを求められる世界一厳しい労働環境の国で・・・

 

働く?

 

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『目が~目が~!!!』

 

・・・というのが帰国前後の僕でした。

 

 

 

 

旅を終えて見えてきたもの

帰国後の歓迎ムードはすぐさま立ち消え、自ずと社会への復帰という逃れずにはおれない恐怖の大王がやってきた。

家族は働いているし、日中の家の周りは静寂に包まれている。

そんな逃避と焦燥感で鬱屈としていた僕は、この世界一周が終わったことについて考えていた。

 

まずこの異常な燃え尽き感は何だ?

たしかに5年もの間すべてを賭けてきた目標が無事自分なりの合格点を得て達成できた。しかしこの廃人になっちゃうんじゃないかと思うくらいの胸のポッカリ感。

 

同じ旅仲間たちも今や現実社会に戻っていた。

彼らも「働きたくねえ」と言いつつ、「でもこの旅で十分楽しんだから」と社会に立ち向かっていた。

中には次のステップを駆け上がっていく仲間たちもいた。

彼らは旅をしながら自分がしたいことを見つけようとしていた。決して自分探しという訳ではなく、超現実的に自分の未来について、自分の人生について旅の中で考えに考えていた。

ある人は旅を続けながら自由に仕事がしたいとプログラミングの勉強を始め、ある人は旅先で一番興味をもった雑貨について今修行中である。

 

そんな中で僕はその次のステップがなにも見えてこなかった。

 

 

何を隠そう僕のすべてがこの旅で完結してしまったからだ。

ある意味現実逃避にも利用していたこの世界一周。

僕にとってこの旅の先は一切頭の中になかったのだ。

心の何処かで旅を終えて何かしたいことが浮かんだり、もうやりきったと新しいスタートが切れるんじゃないか、とも思っていたが僕はそんなしっかりした人間ではなかった。

そんな僕は静かな平日の真昼間に天啓を受けた。

悲しいことに旅に終わりはないのだ。

 

 

旅は一時の満足感は得ることができても、永遠に完遂できるものではない。

だからこそ旅は人にたくさんのものを与えてくれる。

世界を旅していろんな景色を見て、いろんな人たちに話を聞いた。今回の旅は満足であったが、それは「今回の旅」でしかない。

まさに無限ループ。より危険なルートを探していつしか遭難死してしまう登山家のように、より世界の隅々まで駆け巡りたいという好奇心が脳内を駆け巡る。

そんな時はなぜか夜寝る前に目が覚めればバンコクあたりにいるんじゃないか?という妄想が湧いてきたりする。

 

僕にとって旅をしている自分こそが本来の自分であり、それ以外は考えられなくなっていたのだ。

気づけば現実逃避が昇華してアイデンティティが改竄されているではないか。

終わらない事柄に執着しすぎると、欲求は無限に膨れ上がり現実逃避の要因にされ続けられる。高校球児が試合に負けて泣くのは、それが本当に時間的にも機会的にも構造的にも最後だからだ。彼らは高校生活を続けたくても続けられない。だが旅に終わりはない。

終わらないモノに取り憑かれてしまうとえらい目にあってしまうのだ。

 

旅から帰って2週間ほどしてから、そんな燃え尽き症候群と現実逃避が一気に襲い掛かってきた。

 

 

 

だが世間はそんなに甘くはない。

この11ヶ月の旅で夫婦で300万も使ったのだ。

世界一周で突きつけられたこと、それは「世の中すべて金だ!」ということだ。

そこには冷酷なまでの現実があった。

日本のような世界的に見て貧困も格差も少ない豊かな国にいると「世の中すべて金だ!」なんて言えば白い目で見られてしまうが、貧困国に行けば行くほどそんな偽善的なフィルターはバリバリ剥がされていく。

そんな冷酷なまでの現実に直面しているので、1年ぶりに働かなくてはならない。

燃え尽き症候群と現実逃避を抱えながらの就職活動、しかも場所は我が故郷の先進高齢化社会ド田舎

 

さあ、バックパッカーは日本社会に戻ってこれるのか?