ブログとnoteとGoogle先生と旅行ブログと

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2021年、あけましておめでとうございます。

といっても、相変わらずコロナウイルスのせいで写真を撮りに行くのがなかなか厳しい状況ではありますね。

いきなりですが、最近このブログは開店休業状態。

要するに、ブログスタイルとnoteどっちが良いかな問題であります。

 

正直なところ、我がブログは最近のGoogle先生の大改革のあおりをモロに受け、帝国主義的な意味でのpv数が激減しております。まさに大航海時代の新大陸先住民の皆様状態。

ということで、色々試行錯誤していましたが、逆に言うと開き直って本来のブログの意味に忠実になろうと思っている次第です。

なので、世界一周旅行ブログとして始まってから、もはやその面影すらない趣味ブログになっていますが、より個人的主観的オルタナティブかつペシミスティックにお送りしているのです。

要するに、常に脳内を騒がせているドロドロ(注:もののけ姫))を押し込める情報空間なわけです。

ということで、最近は専ら写真とカメラについて。

 

note.com

ご覧の通りの内容の記事を、ブログとnoteで実験的に書いております。

そして先程述べた『ブログとnoteどっちが良いかな問題』

アフィリエイト目的でもなく、バズや炎上を狙わず、ありのままの~な記事ですので、もはやフォーマットはどうでも良いのです。

そうなると、雑記ブログと化したこの九龍城砦ではなく、極めて読みやすいことだけに特化したそっけないnoteのほうが良いような気がしたのです。

雑記ブログのよいところは個人の持つ多様性と特化性の狭間のまどろみに尽きますが、当ブログは昨今のGoogleの目指す「個性」ではなく、要するに非経済的な時間を非経済的に楽しむというマーケットから最初に除外される消費者専用の痰壷になっています。

本質的に迎合主義かつアナーキーな僕にとってそれはそれで誇らしいのですが、そんな明治の大陸浪漫的我儘にGoogleという土俵では生存権を与えられておりません。

そのため、新たな大陸を求めたブログの新設、ワードプレスなんかも考えましたが、もはや時代に沿っていないことは明白。

そこまでしても、宮崎滔天たりたいのであれば、SNSというレンチン並みに簡単な世界があるので事足りてしまいます。

 

note.com

せっかくブルシットジョブの合間に書いたんですから、誰かに読んでもらいたいじゃないですか!

ルーチン化された労働による疎外に対しての表現者という芸術活動は、その瞬間だけ狩人に我々を戻してくれるのです。そう、アラン・セクーラ先生はおっしゃっています。

芸術というのは自己表現でありますが、別に気どった意味ではなく、表現全てはすなわち芸術であり、それがマーケットに引っかかりもせず雲散霧消しても吐き出したという事実はそこにまさしく存在するのです。

現実社会で自分が労働で生み出したものはさっぱり見えませんが、表現物はまさしくネットの宇宙の片隅でプルプルと振動しています。

単なる消費者ではないというアイデンティティが目下一大マーケットになっておりますが、それこそ現代人の暇つぶしなのです。

そう考えると、ブログとnote、どっちかなと思うわけです。

noteはベッヒャー夫妻の写真のように無個性という個性が等間隔に並ぶことで、無印良品のカタログのような快感を生むフォーマットです。

ですので、上記リンクのような内容の記事はnote向きかなと思っています。

 

tabing.hatenablog.com

同じような記事をブログでも書いてみましたが、単純に眺めるという点ではやはりnote向きかなと思います。

現在は 9割以上の人がスマホで記事を読んでくださるので、 noteはスクロールしたときの文字や行の間隔が秀逸です。

ちなみに我がブログはPCでご覧くださる方が異常に多いので、まあそういうことだと思います。

 

写真に限って言えば、共有=SNSですね。

もはやこれだけ写真が溢れている時代ですから、テキストなんて読んじゃくれません。

もう感覚的、脊髄反射で判断されていきます。

故に感情に訴えるようなギトギトHDRか、ほんわりふわふわエモい写真が強いですよね。

ラーメン二郎か映える巨大パフェの時代です。

写真とテキストを読んでもらいたいのであれば、SNSに強いポエムでしょうか?

でもポエムは雰囲気を伝える以上のことをしてしまうと、それはポエムではなく、SNSの波には重すぎて乗れません。

 

結局、せっかく撮った写真を見てもらいたいとなると、大衆的なSNSか玄人のコンテストだけでしょう。

かつての写真ブログのような形式は、ライフハック的記事やアフィリエイト記事以外は需要がないとGoogle先生が判断なされるのも当然でしょう。

これは世界一周旅行ブログでも同じです。僕が旅行ブログを見て色々と情報収集していた時代、2010年前後はまさしくブログでした。

要するに日々の日記、その中に移動や宿やお得情報のようなリアルタイムのライフハック的有用記事を混ぜているものが主流でした。

僕の世界一周旅行ブログは、その時代の末期に当たります。

TABI LABOや高城剛あたりから、ライフハックのまとめ記事だらけになりました。

手早く有益な情報をササッと手に入れる時代です。やはりスマホの圧倒的な普及が原因でしょうね。

 

時代背景はこれくらいにして、ブログの存在意義とはなんぞやということを考えます。

今、個人ブログはほぼGoogle先生から排除されてしまいました。

個人で残るのは、内容より書き手への注目を集めるキャラクター性が特化したものであり、YouTuberなんてまさしくそれです。

雑多で匿名で内容重視の個人ブログは、情報が不明瞭かつ散発なので時代の速度に乗れないのです。

ですが、だからこそ開き直って超個人的な情報を書き連ねるのが酔狂でよいではないかと思います。

まさにスマホ隆盛時代のデジタルカメラの凋落を尻目にひっそり生きるフィルムカメラのそれです。

 

ということで、このブログはこの調子で痰壷化していきますが、よろしくおねがいします。

当面は現在のように記事内容によりブログかnoteで振り分けていこうと思います。

SIGMAfpとLeicaレンズと 『スティーブン・ショアの写真について』

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最近スティーブン・ショアの写真集、そして写真論に強く惹かれている。

Stephen Shore: Uncommon Places』を見ると驚愕する。

何気ないアメリカの田舎の景色、ノスタルジックではない、世界中どこにでもありそうな景色の写真。

だが、その調和された雰囲気にしっくりくる感じがして『心地よい写真』になっている。なぜか?

今回はそんなスティーブン・ショアの構図、そして調和された作為的かつ自然な景色という矛盾を克服した写真について。

 

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今回の写真はロードムービー的に。

スティーブン・ショアはアメリカの田舎を車で旅しながら撮影していったわけで、こちとら山陰のド田舎を。

レンズは「summicron 50mm 1st」「summilux 35mm 2nd」

 

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ショアは、写真には秩序が必要であり、意思決定が撮影対象の内容を定義づけ、構造を作り上げると言っている。

秩序が無ければ、何のために写真を撮ったのかわからない。

対象を捉え、構図を見て、絞りやシャッター速度を調整して、シャッターを切る。

この選択の連続が構造を作るのである。

 

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それでいて、その構造は自然の節度を超えてはならず、時代の様相を表すものでなければならないとシェークスピアから引用する。

写真の内容の理解を恣意的に誘導するための構造であってはならない。

 

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古典的な型に嵌め込むのではなく、時代の様相を表すために自身が学んできたことに由来する独自の枠組みを当てはめて撮影していたという。

 

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「型が透明になるにつれて、作家が目の前にある構造をどれだけ理解しているかが現れ始める」

要するに、撮影する際に構造を理解しようと試行錯誤しろ!という意味ではなかろうか?

 

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ある程度写真を齧っていると、景色を見ただけで「正解」が見えてくる。

それはいわゆる古典的な型だ。正解とは行儀作法のようなもので、それを当てはめるだけで「っぽい写真」になる。

日本の写真コンテストで入選したり、SNSでバズる写真だ。

 

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それはそれで素晴らしい。

だが、深く考察するまでもないわかりやすい構造になってしまう。

UNIQLOの定番商品を着ていれば、コスパも良くてとにかく無難だ。

だが、そこには個人の意志が入っていない。

 

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目の前にある景色を、ベルトコンベア式に型に当てはめていくのではなく、景色の構造を理解しようとする試みが大切だとショアは言っているんじゃなかろうか?

 

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それは「正解」ではないかもしれないが、まさに本質的な撮影行為だといえる。

写真に対して学び経験したことをぶつける、それこそ表現なのだ。

そのためには写真もだが、自分を理解しなければならない。

そう言われてみると、わかりやすい写真を儀礼的に撮っていた気がしてきた。

 

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ブレた写真、なぜ僕はこれを撮ったのだろう?

 

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そう考えると、フィルムとデジタルで撮った写真を見比べた時にショアの言うことの意味がわかる。

デジタルだと何も考えずに良さそうな構図を保険で何枚も撮る。帰ってその中から良いものを選べば良い。

フィルムは違う、カメラの設定から「失敗できない」選択の連続であり、ちょっとの構図のミスも許されない。

これは経済的な理由だが、それはとにかく強い。

ショア自身、大判カメラでの撮影では経済的な負担が精神の集中をもたらせてくれたと話している。8✕10だもんね。

 

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デジタルじゃなければ、真昼にF1.4で撮るようなことはしないものね。

 

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ショアの写真が「正解」という意味ではないが、撮影に望むスタイルはとても尊敬する。

10代から写真界のトップに君臨し続けながら、日々試行錯誤という名の「構造の理解」という苦行を続けている。

ショアは撮影機材だけでなく、そのスタイルまで時代に合わせながら攻め続けている。

中平卓馬にも通ずるが、一度世の中で絶賛されたスタイルを簡単に捨てるというのは並大抵のことではない。

常に探求し続ける生き様が素晴らしいのだ。

 

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僕がショアだったら「Uncommon Places in TOKYO」という感じでシリーズ化して金儲けに走りそう(笑)

 

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と言いつつ、すでにお解りだろうが、「Uncommon Places」の構図をかなり意識して撮っています。

パクっているわけじゃなくて、あれですよ、あれ、リスペクトってやつです。

ショアの構造の理解という過程を理解したいための撮影ですのでご了承ください。

 

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このような写真はわかりやすい。

構図から視線誘導先がパッと見ただけでわかる。

だが構造を理解しようとしたかと問われれば、微妙ですね。

安易な型のトレースのような気もする。

それが悪いという意味では決して無くて、違う視点で写真を撮ってみたいという願望。

 

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何故撮ったのか?

それがすぐ言語化できないということは、逆に言えばまだ模索中というわけであり、その模索という苦しみの中から生まれる写真というのは、それが過程であっても素晴らしいと思う。

 

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よくいうマンネリとか飽きるってのは、結局この部分だと思う。

写真に対してもそうで、機材を変えたり、加工に凝ったり、SNSで評価を求めたり、そういう過程というのは苦しみの壁にぶつかった反動なわけで、そこから簡単に逃げるのではなくとりあえず対峙してみたいのである。

 

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安易な逃げなのか、それとも闘争の果てのステップアップなのか、はてまた迷走?

それが写真の楽しさなんじゃなかろうか。

 

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かくいう僕も紆余曲折の末、フィルムカメラを手にしてから一気に視界が開けたのである。

それは自分の写真のレベルが上ったとかそういうのではなく、撮影に対してのその時の自分に納得がいったのだ。

 

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ただ撮影するだけではなく、自分を理解しようとする試みから生まれた納得感は、勘違いかもしれないが撮影への視界が格段にクリアにする。

この果てのない真理探求の哲学という名の自己満足こそが、写真の楽しさなのである。

これには高い高い授業料が必要だが(笑)

 

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スティーブン・ショアの写真に惹かれるのは、「今」だからだろう。

今の僕には、スティーブン・ショアの写真が輝いて見える。

 

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スティーブン・ショア自身も、数多くの写真家や芸術家に影響を受けていると言っている。

結局、これも彼のいう経験のひとつなのだろう。

 

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ということで、最近は西洋絵画や浮世絵の本まで読み始めて、写真がますます楽しくなってきた。

SIGMA fp』の拡張性の高さのおかげ?で自分がやってみたい挑戦にも簡単に対応できるようになったのも大きい。

それを「沼」ともいうが。

今回の写真は構図を強く意識して撮影してみた。

何気ない景色、田舎のロードフォトを時系列に並べてみた。

割と気に入っている。

 

Stephen Shore: Uncommon Places: The Complete Works
 

この写真集は、何気ないアメリカの田舎を大判カメラで撮影している。

これといったわかりやすい主題はない写真が大半を占めている。

交差点や住宅街を何気なく撮っているように見える。

が、とにかくそれがすごいのだ。スナップ写真のように通行人のハッとする瞬間があるわけでもなく、自由の女神像のようなわかりやすいシンボルがあるわけでもなく、構図に動きがあるわけでもない。

とにかくただ景色を撮っている。

しかし、ある批評家が「背景がない」と言っているように、全体が調和しているのだ。それが自然で恣意的な感じが一切ない。

車、ビル、標識、遠くで立っている人、電柱、その何気ないすべてが見事に秩序立っている。

これが構造なのか!とため息が出るのだ。

人間の視覚的な安心感があり、全体が調和し過ぎているからこそ目に止まりまじまじと眺める写真になっている。

だがわからない。

これが時代の様相を表しているということなのだろうか?

 

IMA(イマ)Vol.32 2020年5月29日発売号

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  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: 雑誌
 

スティーブン・ショアは大御所なのだが、なぜか日本語で読める資料が少ない。

写真集も英語版しかないのだ。

この記事のショアの発言や文章の引用はすべてこの『IMA(イマ)Vol.32』のスティーブン・ショア特集から。

とても充実した内容なのでおすすめです。

 

おすすめリンク

tabing.hatenablog.com 

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SIGMAfpとLeica summilux35mm 2nd 『水族館でシロイルカを撮る』

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SIGMAfpとLeica summilux35mm 2ndで水族館を撮影。

前回に引き続き、島根県西部にあります「島根県立しまね海洋館アクアス」で、スナップ撮影してまいりました。

ここの水族館の目玉はやはりシロイルカです。

※写真はすべてブログ用にリサイズしています。

 

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シロイルカ、かなりでかい。

そして泳ぐのがめちゃくちゃ速い。お揃いコーデの夫婦の隙間を一瞬で通り過ぎる。

 

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ショーが始まると、紹介中に気を付けの姿勢をしているえらいシロイルカ。

うちの子にも見習ってほしい。

 

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ダイバーさん登場

シロイルカの大きさが際立つ。

 

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かの有名なバブルリング

島根のオジサマとしてソフトバンクのCMに出ていたの覚えてますか?

まさか上戸彩の親戚が島根にいたとはね。

 

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バブルリング(大)をくぐるというウルトラC

 

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シロイルカショーも終わったので、ペンギン館に。

 

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ペンギン、下から見るか

 

 

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アシカ、こちらもむっちゃ速い

 

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速すぎて追えない

 

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間近で足ひれをまじまじと見る。

なんかきのこっぽい。

 

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35mmマニュアルレンズで水族館、けっこう面白かった。

家族で行ったのだが、こういう何気ない行楽写真をLeicaレンズで撮るなんざ、思いもしなかった。

でもマニュアルレンズの不便さはたしかに実感する。

なぜならただでさえ暗い水族館内で動き回る海洋生物、そして我が娘。

しかも単焦点とくれば、とにかく撮影者が前後に動き回るしか無い。

ということで、次から次へと水槽から水槽へ飛んでいく我が娘はほとんど撮れず。

でも撮影自体は本当に楽しい。試行錯誤、まさにこればかり。

慣れるまでは落ち着いて撮れない。距離を目測で・・・まだ難しい。

だが瞳AFでパシャパシャ作業的に撮るのは少しさみしい。

ただの記録写真も試行錯誤した分、どう撮ったか覚えている。

なので打率は低いがホームランは増えたような気がする。

ここぞという時に打つのではなく、自分でも意識していないようなタイミングでホームランが出る。

この意図しない会心の一撃の経験を増やしていけば、それこそ自分しか撮れない写真になるのではなかろうか?


tabing.hatenablog.com

 

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