クスコという町
1月31日
子供の泣き声。朝だ。
一瞬、寒さのせいで自分が赤ちゃんでも産んでしまったのではないかという幻想とともに目が覚めた。
体が動かない。足を見てみると他人の足のようにふくらはぎが異様に太くなっている。
足がドムなのだ。
ジェットストリームアタックでもできそうな立派な足だが、もはや我々に残されたエネルギーはなく、ただ時を食む羊のごとく生きた。
10時半、24時間以上たってやっと地上に足をつけた。
我々は勝ったのだ。アメリカの月面着陸の偉業が霞んでしまうほどの偉業だ。合計33時間格安バスの旅は終わった。
「あえて言おう。なめていたと。」
今度からはケチっちゃダメだねと二人で動かない顔面の筋肉を引き攣らせながら笑う。
※リマ-クスコ間はまだ安全だが、クスコ-ラパスやラパス-ウユニのバスは窃盗事件が多発しているので決してケチってはいけないと日本人旅行者に聞いたことを付け加えておく。
目指すはカサデルインカという宿。
友人が待っているのだ。彼は南米はペルーだけの旅行なのでクスコでちょこっとだけ落ち会う約束をしていた。
2体のドムはアルマス広場でタクシーから降りた。
アルマス広場、正面カテドラル左手奥マクドナルドのある道から坂を登ると右手に階段が現れる。
階段を上がってすぐ左手の階段をさらに登って行くとカサデルインカ。
簡単に言うが、30時間を越えるバス旅を終え勝手に下半身だけドムに改造されていた哀戦士にはこの道はフルマラソン残り5キロ地点に合致する。
息を切らせながらホテルに入る。
日本語が上手な受付のお姉さんに連れられツイン部屋代50ソル。
カサデルインカはネットでの評判通り、スタッフが皆優しい。部屋も綺麗でシャワーもコツがいるが温かい。そしてなんといっても見晴らしが最高なのだ。アルマス広場が一望できる。
「ここがクスコか。なんて素晴らしい。悠久のインカ帝国の名残を・・・」
と、旅人らしく異国の風から歴史と行き交う人々の息吹を感じられるほどの余裕があれば、我々ももっと日本社会に順応できるはずだ。
「日本食ガ、クイタイ。」
花より男子、インカ帝国より日本食、景色で腹は満たされぬ、乾いた米はもう嫌だ。
人間とはなんと浅はかな生き物だろうかと自らを持って知ることができた。
アルマス広場そばに「きんたろう」という日本食屋がある。
ここがべらぼうにうまいらしいのだ。
インドの自称日本料理屋でどこを削っても日本のニの字も出てこない酷い日本料理を食わされたため、日本食という看板に懐疑的ではあったがここ「きんたろう」は違うらしい。
ヘロヘロになりながらきんたろうを目指す。
・・・開いてない。
明智光秀も引いてしまうくらいの裏切りに僕らは憤死しかけた。
下半身ドム2体はよろよろと坂道を登り、ORIONというスーパーで食料を買い込み、またよろよろとレストランを探す。
クスコはTHE観光地なので中心地は物価が高い。我々のような者ははずれの方まで歩かなくてはならない。
スーパーのすぐ横にある地元の定食屋に入る。たった今、食事を終え立ち上がったペルー人の皿には肉片と骨が見えたからだ。
今や肉以外を喰らうことは頭にない。活力を取り戻し、下半身ドムからの脱却をするには肉を喰うしかない。
「こ、、、これください!」
突如現れた下半身がドムみたいな東洋人に少し面食らいながらも、亭主はせっせと料理を始めた。
前菜でスープ、そしてメインで骨付きステーキだ。
なんとこれにパパイヤジュースが付いて5ソル。200円位。
ナイフでも歯がたたない肉をディズニーアニメみたいにかぶりつく。もう肉を食っているのかバーベキューソースをかけた大量の輪ゴムを食っているのかよくわからないがうまいものはうまい。
なんせあのバスの中で食欲が湧くわけもなく、昨日一日RITZしか食っていない。沢口靖子に俺達を褒めていただきたい。
衣食足ればクスコの町の美しさにようやく気づく。
石畳み、石の壁、茶色の瓦、インカ帝国の技術の粋を集めた頑丈な土台の上に征服者スペインのキリスト教会が立つ。これほどたったひと目で歴史がわかるような町も他にあるまい。
インカ帝国の神殿や王宮を軒並み剥がし取り、その上に自らの神を祀る神殿を載せ替える。まさにインカ帝国皇帝へのあの仕打ちを町全体でも行っているのだ。征服者の暴挙をただただ眺めているしかなかった当時のインカの人々はどのように思ったのだろうか?
インカ帝国は文字も鉄も車輪も持ちえなかった。文字すらもたない文明だから、たった200人のスペイン人にあっけなく滅ぼされてしまった。
歴史の資料集ばかり眺めていた中2の僕は単純にそう思っていた。
たしかにピサロ率いるスペイン軍が8万人のインカ帝国軍と対峙した際、あっという間に7000人が殺され現人神であった皇帝は捕虜にされてしまった。
スペイン人の鉄器と銃と馬は、日本人が250年の鎖国後に見た黒船のような衝撃があったであろう。
しかし、単純な武力だけでは何千万人もいたインカ帝国の人たちを屈服させるのは不可能なはずだ。
文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
- 作者: ジャレド・ダイアモンド,倉骨彰
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2012/02/02
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このジャレド・ダイアモンドの書籍を見て、スペイン人がなぜ兵力も地の利も圧倒的有利のインカ帝国を簡単に破滅させることができたのか?
という疑問を解決させ、まさに目から鱗状態が何百ページも続いた。
その中でも興味深かったのは「病原菌」だ。
白人がインディアンを殺すために天然痘患者が使っていた毛布をプレゼントしたという話を聞いたことがあった。
それは僕が想像していた以上の破壊力があり、メキシコ先住民が白人と接触してからわずか100年で3%しか残らなかったという悲劇さえあった。
現にインカ帝国滅亡の原因の一つも皇帝が伝染病で急死し、その後継者争いの内乱に武装したスペイン人が現れたのだ。
伝染病の凄さを語るには梅毒があげられると思う。
1492年、ハイチからコロンブスの船団が持ち帰った梅毒は1512年には極東の日本で感染者を出している。
まさに愛は地球を救う。
性病である梅毒がこの伝播力なのだから、天然痘やペストは全く免疫のなかったアメリカ大陸の先住民たちは為す術がなかったであろう。
ヨーロッパの人間が何千年もの間、苦しめられ、多くの人間の死の上で勝ち取った免疫こそインカ帝国征服が可能であった最大の武器の一つでもあったのだった。
そしてこれはさらなる悲劇を生む。
世界史の教科書でアフリカ大陸の黒人を船に詰め込んで南米植民地へ運んだことを見たことがあるだろう。あれはすなわちアメリカ大陸先住民がほとんど死滅してしまったがために労働力不足を補うために黒人が選ばれたのだ。
ヨーロッパの人間が凄い!とか悪魔だ!という話だけではない。またヨーロッパの文化が優れていて、インカ帝国が未開の野蛮人だったという話でもない。
これは「運」なのだ。ヨーロッパという場所に彼らは生まれたからこそ、その立場になり得たのである。決して白人が有色人種より優れているというわけではない。そうジャレド・ダイアモンドはいう。
もし大陸の形がもっと変わっていたら、インカ帝国とヨーロッパの人々の立場は逆だったのかもしれない。文明の優劣は後世の勝者の人間が決めたことであるのだ。
すべては運なのだ。
羅針盤と火薬を発明したはずの中国人が、アヘン戦争で遥々軍艦でやってきたイギリスの大砲にあっけなくやられたとおりである。また日本という国の立地は最高に運が良いともいえる。
だから僕が片田舎ではあるけれど日本に生まれたおかげでこうやって世界一周旅行で遊んでいる裏で、インドでゴミを拾って辛うじて生きている人間もいるのだ。
そんな日本人に生まれたという幸運を言い訳に遊び呆けている27歳。来世はバッタかな?
ヨーロッパの人間がなぜ免疫を持てたのか、ユーラシア大陸では鉄器や文字があったのになぜアメリカ大陸ではほとんどなかったのか、という疑問は一読してもらいたい。
そんなこんなで想像以上の夜景を愛でながら、ちょっと奮発してワインまで買って手作りサンドイッチを頬張りながら、「運」について考えるのであった。
・・・夜景写真はまた別の機会に