霧のマチュピチュ 其の弐
2月5日
ついに、ついにやってきたマチュピチュ・デー
この日のためにどれだけ面倒くさい思いをしてきたことやら。
ネットで調べ、日本人旅行者に色々聞いて、列車チケットの手配、文化庁へ行って入場券の購入、バスチケットも買った、マチュピチュ村で前泊もした・・・・
雨
インカの神様は太陽だったはず。
僕らはインカの神様を怒らせてしまったようだ。
何がいけなかったのだろう。
リマの治安が悪いからといって、何も見なかったからか?
自炊ばっかりで飲食店にカネを落とさなかったからか?
おみやげを何一つ買ってないからか?
市場で買った肉がオッコトヌシ様みたいな味がしたので捨ててしまったからか?
否、日頃の行いのようだ。
全部で16000円位かけて雨。
16000円あれば・・・インカの神よ!回らないお寿司を食ったあとにハーゲンダッツを大人買いできるんですよ!!
失意のうちにバスに乗る。
7時発なのに6時半には長蛇の列。
でもバスが何台も停まっていたので待つことなく、霧と雨の中バスは行く。
車窓はすごい景色だろうに諸葛亮の罠にかかったがごとく、五里霧中。
気持ちも晴れないまま、土砂崩れゾーンだけ歩かされてまたバスに乗り換えマチュピチュ入り口へ。
「ま、、まさか何も見えないってことないよね?ハハハハ。」
と花輪くんみたいに気取ってもみたが、16000円の壁はあまりにも高い。
ゲートを潜り、見晴らしの良い所まで出た。急ぎ足で。
一面、というか3m先までしか見えない濃い霧。
僕の人生のようにお先真っ白なのだ。
心臓がハーレーダビッドソンのエンジンのように不規則に鼓動し始めた。
尾崎豊のベッドより軋み始めた心臓。これはまずい。
とにかく時間が立てば霧なんて晴れると信じ、マチュピチュ山の方へ。
マチュピチュ山。ワイナピチュよりはるかに人気がないこちらの山は、ほとんど情報がない。聞く所によるとワイナピチュは人が多すぎるのに頂上が猫の額のように狭いため、写真撮影行列ができるのだとか。
そんなことは夏の三連休の槍ヶ岳で散々な目にあったことがあるので、迷わずマチュピチュ山を選択した。
マチュピチュ山の入り口でチケットを見せ、登山届を書くとまだ3人目。真っ先にワイナピチュへと走っていった集団から早々と抜け出してきた甲斐があるというものだ。
マチュピチュ山に取り掛かると雨が強くなってきた。
熱帯雨林のジャングルのような山道は雨で濡れると、その緑色がいっそう濃くなってきた。
「1時間以上登るらしいから、その頃には霧も晴れるよ!」
そう嫁に言ったが、これは自分に言い聞かせた見え見えの希望的観測というやつだ。
こういう時、人はなぜか標準語になる。
マチュピチュ山は一言でいうとねっとりした山道だ。
ジャングルっぽい植物と湿気とたまにある断崖絶壁。老獪ないやらしい山だ。
何を隠そうマチュピチュとは「老いた峰」
ちなみにワイナピチュは「若い峰」
そりゃ、若いピチピチギャルが人気だわな。
1時間ほど登ると見晴らしが良くなるが、生憎すぎる天気で何も見えず。
断崖絶壁も何も見えないので逆に怖すぎる。
1時間半で山頂。
霧の中に見える掘っ立て小屋。山姥でも出てきそうな雰囲気だ。
山頂の看板。
真っ白の世界に佇む看板は悲しさを助長させた。
そしてここ、めちゃくちゃ寒い。
「めっちゃ日差し強くてさあ!すっげえ日焼けしちゃったよ!!」
と赤く腫れた鼻の頭を見せてくれた友人の言葉が脳内にこだまする。
冷たい風が吹きすさび、あたりは真っ白な世界。
鼻水なんか出てきちゃってもう笑うしかない。
少し後にやってきたスペイン3人娘と掘っ立て小屋で、天候の回復を待つ。
せっかく雨の中ここまで来たのに、なにも見えないのだから。
唯一の収穫はハチドリさん。
ハチドリさんがお花とチュッチュチュッチュしている。
いやあ、和むなあハチドリさん。
ハチドリさんは僕らにほんの一瞬希望の光を与えてくれた。
しかし、スペイン3人娘は耐え切れずすぐに降りていった。
忍耐力なら東洋人は負けない。
コロンビア人の夫婦がやってきた。
なぜか半袖だ。さすがコロンビア人。
コロンビア人夫婦が現れた瞬間、強風が吹き、一瞬霧が切れた。
ほんの一瞬だがこれは「コロンビアの奇跡」として僕だけの記憶に永遠に刻まれるであろう。
しかし、限界が来た。すぐに霧は傷口を埋めるように濃くなった。
下山だ。このままではマチュピチュ山のモニュメントにされかねない。
景色は殆ど見えず、なおかつ来た道を戻る。雨の中を。
天に怒りをぶちまけようにも、宛先すら知らない。人間は無力だ。
無言で下る。こういう時の下山は苦痛以外の何物でもない。
下山し終えると遠くで歓声が。
イチローのセーフティーバントの如く、もうダッシュで駆け寄るとマチュピチュ遺跡が霧の合間から姿を表した。
「テ、テ、テレビでみたやつや~!」
と率直すぎる感想しか浮かばない哀れ27歳はしかし決して哀れではなかった。
奇跡的に霧が少しだけ晴れたのだ。
遺跡の全貌が見えるところまで、とにかく走った。
尾崎豊のベッドがぶっ壊れるくらい心臓はきしんだ。
目の前に広がるマチュピチュの全景。
「16000円の価値・・・ここにあり。」
霧と雲の切れ間からわずかに覗くワイナピチュ、眼下に広がるインカの遺跡。
「竜の巣だ!!」とパズーならクリリンみたいな声で叫ぶだろう。
パズーのお父さんが撮った写真のようなマチュピチュはまさに天空の城であった。
「ペルーに来てマチュピチュを見ないんじゃあ、お前何しにペルー行ったのかって言われるじゃないですか~」
と言っていた大学生を思い出す。
まさにそうだ。マチュピチュという義務感が旅行者を襲う。
マチュピチュとは秘境にありながら避けては通れない道だ。
せっかくペルーに来たのにマチュピチュに行かないなんて、キタキツネを見てル~ルル~♪ってやらないのと同じなのだ。
そこには半ば強制的な義務感がまるで自然の摂理のように存在する。
だからマチュピチュを見た時、何か重大なことを果たしたような感覚になる。
ただ金を払って整備された道通り歩いてきただけなのに。
それこそマチュピチュの圧倒的な存在感であり、ペルー政府がちょいとつけ込む心理なのだと思う。
もしかしたら見れないかもという恐怖が払拭され、ほっと一息つく。
マチュピチュは16000円分の価値はあった・・・と思う。
というか絶妙な値段設定だと感心した。
高い。確かに高いけど、無理なわけでもない。どうにかしたら安くはなるし、それを決めるのは自分だ。何通りも行き方があるのはうまいところを突いている。
入場券も遺跡のネームバリューと広大な見学スペースを考えれば4500円という金額は高くはない。全部回れればの話しだが。
なかなかの商業主義だが、観光立国ペルーでは自分の武器を使っただけといえる。
日本が車を売るように、マチュピチュも立派な武器なのだ。
一段落して遺跡見学に向かうが、雨は降ったり止んだり。
詳しい説明を見ながら見学しようと思ったが、雨の中タブレットを出すのは面倒だし、雨のせいで疲労してきていた。
先程の奇跡のコロンビア人の奥様もしんどそうに階段を下る。
遺跡の中はツアー客に占領されており、そこら中で説明会。
しかも日本人がやたら多い。
全体の2割は日本人ではないかと思うくらいの多さだ。
山、石垣、城という3拍子が親近感を抱かせるからか?それとも知名度が高いからか?
と、その中の一人である自分に問いかける。
遺跡の中は迷路のようだ。
しかしよく見てみると、このような場所でも生活しやすいような工夫が見られる。
段々畑や井戸や神殿などすべて石で見事に作られている。
こんな所になぜ作られたか、なぜ捨て去られたかは諸説あるが結局はどれが正しいのか結論は出ていない。
インカの遺跡で毎度おなじみの「よくわからない」
もちろん字を持たなかったインカ帝国をスペイン人が根こそぎ破壊してしまったのが原因だが、非常に惜しいことをしたものだ。
後世に何かを残すということは、どんなことであれ大変難しいことなのかもしれない。
今まで星の数ほどの人間が生まれては死んでいったのだが、その中で後世に名を残している人物は1%にも満たないはずだ。
インカ帝国は字を持たなかったが、マチュピチュのような偉大な人類の宝を残した。そこにマチュピチュの人々を寄せつける何かがあるに違いない。
なんて悠久の歴史に身を漂わせているとリャマちゃんがいた。
何でもCM撮影用のリャマが野生化したらしい。
世界遺産でそんなことありなのか?
金閣寺にニホンザルがいる感じ・・・いや、それはかなり違和感があるか。
リャマちゃんは観光客に大人気だ。完全にスレていて人が近づこうが我が道を行く。
かなり性格がひねくれてそうだが、遺跡ばかりで飽きさせないペルー流のおもてなしと思っておこう。
遺跡を一周してくると、運良くまた雲が切れワイナピチュが見えてきた。
こんなに自然の思いつきに右往左往させられたのは久方ぶりだ。
一時はどうなるかとやきもきしたが、マチュピチュは期待に答えてくれたようだ。
偉大なるインカ帝国の落とし胤マチュピチュを16000円分大いに堪能できた。
さらばマチュピチュよ!たぶんもう来ないけど忘れはしない。