アタカマ砂漠2泊3日ツアーで見た青い空とフラミンゴ
2月16日
アタカマ砂漠ツアー。
2泊3日、道なき砂の王国をランドクルーザーで駆け抜ける。
我々は、標高5000mまで達する砂漠の奥深く進むこのツアーに参加する。
一人120ドルと国立公園入場料150ボリ。
そんなレンジャーな旅をするそのまさに朝。
僕は猛烈に腹をやっていた。
もちろん昨日の肉の暴食。
したたる脂を美味美味と胃の中に屠っていたあの愚行!許すまじ!!
少女は言った「自業自得ってやつね!」と・・・
朝、力石のボディーブローを耐えるジョーのような苦悶の顔で目覚めた。
昨日の食欲はこれから2泊3日という長い長い旅のための本能的準備機能が作動したものと思っていたが、全くの気のせいであった。
我が本能は「これから物価の高いチリに行くんだから今のうちに詰め込んじまえ!」という小汚い貧乏根性を取ったのだ。
下劣なる無意識下の奴隷でしかない人間という生き物な僕は、図らずも猛烈な痛みを含んだ腹を抱えたまま、10時半ツアーが始まった。
ランドクルーザーは客を乗せて走りだす。
オーストリア人とアルメリア人のカップル、チリ人カップル、我々という何とも統一感のないグローバルな団体さんとなった。
ドイツ語とスペイン語と日本語が車内で飛び交うので頭が痛くなる。
初めは列車の墓場。
ただの鉄くず寸前の列車の残骸が置いてある。
僕たちはただの粗大ゴミ置き場にしか見えないが、白人たちは大はしゃぎしている。
白人たちは鏡張りのウユニ塩湖よりも、こういった遺跡の方がお好きらしく、よって鏡張りツアーは日本人だらけとなる。
まあ、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない♪ということか。
3度目のウユニ塩湖。
「もうすげえの見ちゃったからウユニ塩湖はいいかな。」
なんて話していたのがバレたのか、かなり不機嫌なウユニ塩湖は水が引いて真っ白。
鏡張りではなく、真っ白な大地が顔を出す。
こちらはこちらで見たかったのだが、やはり鏡張りの方が良い。
白人たちはこちらでも大はしゃぎしている。
彼らは乾季で乾ききったウユニ塩湖がお好きなのだ。
本来なら塩のホテルに向かって宿泊になるのだが、環境を慮って最近では中止になったようだ。
そのあとは2時間かけてただ教会があるだけの村に連れて行かれたが、特に見るものもない。この辺でお腹の調子が矢沢永吉のコンサート会場みたいになっていた。
腹痛&便意という波状攻撃は何を隠そう精神力こそが唯一の盾となる。
そもそも腹痛&便意というあの危機的状況は、人前で失敬できないというつい最近決まった道徳観により引き起こされる人為的な問題なのだ。
いちじくの葉っぱをまだ必要としていなかった頃は、「あいよ!」といってそこら辺で出来たことなのだ。
だからこそ、精神力がモノを言う。現代人、文明人として最低限の枠を脱しないために、あれだけの苦痛を我慢するにはただただ精神力の賜物でしかない。
気をそらそうが、座り方を変えようが、原因はわかっているのにそれができないという究極の矛盾の只中、ひたすら明鏡止水という高次元な精神状況に身を置かなければならない。
僕はただただ宇宙の道理の中に身を漂わせ、かつ全神経を鉄のように練り込め御老公さまの方で浮きだつマグマの抑えとする。
そのいつ果てるとも知らぬ煉獄地獄の戦いを4時間続けたあたりで、ようやく宿につく。
サンファンという何もない宿。
トイレは南米式便座なし&桶にて手動水洗方式。
部屋はベッドのみ、シャワーは直焼き。
精神世界の戦いに勝利を収め、安堵するも長期の戦闘は身も心もボロボロにされた。
食欲などなく、ただベッドで眠るだけだ。
今日、何を見たのかさっぱりわからず、昨日の愚行を呪いながらも昨日の愚行を思い出すとリャマの肋肉ステーキが頭をもたげ、気持ち悪くなって寝た。
哀れなるかな食欲に負けたる日本人。
他のツアー客はうまそうに揚げ鶏とフライドポテトをガツガツ食っていた。嫁さんも。
2月17日
全快!まさにベホマな気分だ。
昨日飲んだ薬が効いたか、はてまた我が身の超回復力なのか知らないが治ったのは治った。
朝のパンも美味しくいただき、ツアー2日目が始まる。
今日は一言でいえばフラミンゴデーだ。
めざましテレビで「今日のラッキーアイテムはフラミンゴ」だったらいいのになあって思うくらいフラミンゴばかりな1日であった。
初めはまるで月面のような石群に向かう。
巨石や奇岩がたけのこのように生えまくっている。
ドラゴンボールで見たような風景。
今にもピッコロさんあたりが吹っ飛んできて、岩に何度もガンガンしそうだ。
巨岩の上に登ると景色も良い。
かなり腰が引ける高さだ。
辺り一面が岩だらけなので、眼がチカチカする風景が見られる。
次はまた湖。
フラミンゴが食事中だ。
フラミンゴって動物園で見たことがあったが、正直気持ち悪い。
眼がギョロッとしていて、顔がヌポっとしている。さらに意外にデカイ。くせに足が細すぎる。バランス感覚は良いが見た目のバランスを大いに欠いている。
そんなフラミンゴの唯一の美しいところは歩いている姿だ。
機械じかけのように歩くさまはキューブリック監督に是非撮っていただきたい。
餌を求めてすたすたと歩いていく不気味な鳥は群がる観光客を尻目に食事を続けるのであった。
続いても湖&フラミンゴ。
その次も湖&フラミンゴ&昼食。
変な肉が出てきたので運転手に聞くと「フラミンゴ!HAHAHAHA!!」と言った。
これぞボリビアンジョーク。
しかし3%ほどジョークに聞こえないところがボリビアンジョークの肝である。
フラミンゴに開き始めた途中に、へんてこな岩があった。
「倒れそうな岩」というそのまんまの名前のこの岩。
青すぎる空とへんてこな岩。
なぜかポカリスエットのCMで見たことがありそうな光景であった。
最後の湖もフラミンゴ。
富士山のような見事な独立峰的シルエットをもつ山が美しい。
日本人は富士山的シルエットが大好きである。
太宰治が好きな富士山とは真逆な浮世絵のようなシルエットだが、やはり美しい。
すでに富士山の標高をとっくに越えていることを思い出し、息苦しさを感じた。
この日は14時にはホテルへ。
昨日のような簡素なホテルだが、外に可愛いアルパカがいる。
「おじちゃん、PS4買って!」
「買うちゃる!!おいたんが買うちゃる。!!!」
こんな目で言われたら誰でもこう言いそうだと変な妄想が沸き立つ可愛さだ。
お茶が出て、皆でいただく。
部屋が6人で2つしかなく、2人部屋は早い者勝ち。いつも白人カップルが我先に行く。
日本人、チリ人カップルは白人カップルから発するプライベートな壁を大いに感じ、4人部屋へ向かう。
なのでチリ人カップルとはすぐ仲良くなれた。
お互い拙い英語で色々と話す。
日本人にはバカンスがなく長期旅行は仕事を辞めなくてはならないという日本人の鉄板ネタをぶつけたら一同「オーマイゴッド!」だった。
外人につかみとしてまずぶつけるとしたらこのネタだ。間違いはない。特に白人の反応はとても面白い。
嫁さんがチリ人カップルの名前をメモ帳に日本語で書いてあげた。
日本の文字に興味があるらしく、彼女の方は非常に喜んだ。
「なぜ、日本語はこんなに種類があるの?」
唐突なこの質問。意外に説明しづらい。
ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字を操る日本人は異様に見えるようだ。
音読み、訓読みもなんと言ったら良いかわからないし、外来語の意味や中国との歴史なども僕らの英語力ではなかなか説明が難しい。
ちなみにチリ人の彼女はカタカナが気に入ったらしい。
そのあとはチリの話を色々聞いてみた。
「チリは平均月収が300USドルくらいなんだけど、その割に大学の学費が1ヶ月600USドルもするのが大いに不満だ。ひどい話だよ。」
「サンティアゴは特に何もない。」
「ブエノスアイレスは素晴らしいところ。こんな分厚い肉が安く食べられるよ。町もほんとうに綺麗だ。」
「ピノチェトの人気は最悪。やっぱりアジェンダだよ。」
「日本のアニメは人気だよ。ぼくはデスノートが好きだ。」
「寿司は高級だから食べられないよ。あんな小さいのにね。」
「チリ人のバカンスの過ごし方はビーチに行くこと。金持ちはパタゴニア地方に別荘を持っているよ。」
「イースター島は高いし大して良い所じゃないよ。日本人は好きなの?」
などなど。
チリ大学を出た秀才カップルとの文化比較対話は非常に面白かった。
その中でも特に印象に残ったことがある。
「チリは工業がなにもないんだ。日本は工場がたくさんあるでしょ?車とかパソコンとかさ。チリは相変わらず銅かサーモンくらいだよ。だからなかなか発展しないんだ。」
という話だ。
チリの最大の輸出品は銅だ。
これは一昔前なら総輸出額の7割近くに上ったらしい。
今でも4割が銅で占められている。
この銅もアメリカ資本に長い間握られており、チリ人達は過酷な労働状況の中、せっせと働いていたのだった。
この銅のエピソードはチェ・ゲバラの著作「モーターサイクルダイアリーズ」にも出てくる。自らの国土から産出される銅をアメリカに握られ、過酷な労働にさらされる現地の人々、そしてそこで出会った流浪の共産主義者夫婦を見たゲバラは強い衝撃を受けた。
当時のアメリカは中南米でまさにやりたい放題であった。左翼政権ができれば軍人をそそのかしてクーデターをさせた。その裏にはCIAなどからの多額の援助があった。中南米に独裁者が多かったのはアメリカがバックにいたからだ。アメリカはその恩恵として中南米の肥沃で広大な土地から富を吸い上げていった。
そんなアメリカの鼻先でカストロとともにゲバラはキューバ革命を成し得たのであった。
なぜゲバラの話が出たかというと、彼もかなりのゲバラマニアであり、おかげで大いに話が弾んだからだ。
ゲバラには国境は関係なかった。そしてゲバラファンにも国境は関係なかったのだった。
話は戻るが、南米でもトップクラスの経済力を持つチリでさえ、銅1つなのだ。
日本という高い工業力を持つ豊かな国から来た僕にとって、彼のその言葉は非常に重く感じた。高学歴の彼が国を憂う気持ちは、切迫感があったからだ。
何もせずとも先人たちの恩恵の上にある安易な豊かさの中で暮らしているということを思い知らされた。日本のような何も資源のない国土ながら、GDP3位の国になっているということは奇跡なのだ。
蛇口から出る水が飲めて、町が綺麗で、場所取りにカバンを置けるなんて国は世界中探しても日本ぐらいである。
そんな当たり前の生活がじつは幸福なことだったと、旅をしている中でふと感じることがある。
結局彼らとは夜まで話し続けた。
チリの観光情報も聞けた。チロエ島は最高らしいので、行き先に付け加えた。
アタカマ砂漠の美しい星空も見ながら皆で眠りについた。
2月18日
朝4時半に起床。
標高は5000m近く、ものすごい寒さだ。
マイナスに突入しているのではないかと思うほどのしんとした寒さ。
朝日が昇りかけの中、砂漠のど真ん中で猛烈な煙と硫黄臭さが立ち込める。
日本人には懐かしい風景だ。
近寄ってみるとかなり穴まみれで、しかも中で灰色のマグマのようなドロッとした液体がグツグツしている。落ちたらひとたまりもない。
そんな危険な場所にもかかわらず、柵や注意書きすら無い。これぞ南米クオリティー。
その後はまさかの温泉があった。
露天風呂だ。
たくさんの外人が水着姿で煮こまれている。
水温は・・・・微妙だ。
36度くらいか?
足湯くらいの温度にもかかわらず、白人の皆様は熱湯コマーシャルのようなリアクションだ。
日本人の僕からすると、こんなぬるさの温泉に入ったら絶対湯冷めして風邪をひくとしか思えなかった。
「熱かった?」とオーストリア人の男性に聞くとマグマにでも浸かったようなリアクション。「日本人はもっと熱いのに入っているよ。」というとジョークだと思われた。
僕らは足湯だけにしたが、ここで外人リアクションを見ているとかなり面白い。
なんせ万国共通「あっ~~~~~!!」というのだ。
風呂に肩まで入った時に出るあの「あっ~~~~~!!」だ。
ぜひ彼らを日本の温泉に連れて行ってあげたくなった。
ここから先は本当に砂漠だった。
生き物もほとんどいない世界。
昨日までは石ころや草がところどころにあったので、砂漠っぽく感じなかった。
国境に近づくと空の青さは黒ずみ、空気がピンと張り詰める。
砂漠は孤独を感じさせられる。こんな所に放り出されたら一体どうなってしまうのだろうと。全く何も感じさせない冷たい砂漠はどこまでも続いた。
国境へ向かう途中にあるダリ砂漠。ダリとはあの芸術家のダリである。
彼の作品っぽい不条理さがこの風景にあるという。
幻想的な砂漠の景色を越えていく。このツアー最大の見所は車窓の砂漠であった。山や塩湖やフラミンゴも見られるが、これほどの標高の中にある砂漠をランドクルーザーで疾走するなんていう経験ができるのは世界でもここだけではなかろうか。
国境。このコンビニくらいの建物がイミグレーションだ。
そしてランドクルーザーの運転手はそのまま帰ってしまい、しばしバスを待つ。
出国手続きを終え、クソ寒い中40分ほど待った。
バスはチリ側の道に入っていく。
チリの入国では生鮮食品などの持込などが非常に厳しく、ものすごい時間がかかるといわれたがそうでもなかった。
バスは少し行くとアタカマの町につく。
さっきまでの寒さが嘘のようなヒリヒリする暑さ。
町は洗練されていてとても綺麗だ。売っているものや看板など細かいところまでのすべてがかなりのクオリティー。あまり実感はないがボリビアは抜けたらしい。
それにしても聞きしに及ぶ「チリショック」
チリショックとはペルー、ボリビアという激安物価国を抜けた途端いきなり現れるチリという国の物価の高さで、心臓が止まってしまうくらいのショックを受ける洗礼のことだ。
ボリビアと比べるとレストランや宿泊費、バスの値段など2~4倍近くにもなる。
アタカマで安いホテルでも10000ペソ。また桁が多いから一層高く感じる。これは2000円位だ。ボリビアでは600円位の宿に泊まっていたのに。
でも物価が高い分、クオリティーは高い。治安も良いしそれなりの恩恵はあるのだから文句は言えない。というか日本と比べたら激安なのは言うまでもない。これもひとつの旅人病なのかもしれない。
久しぶりの必然的な自炊で腹を満たし、明日の24時間サンティアゴまでのバスの旅を控え憂鬱になる。
24時間という長バス旅に・・・というよりひとり6000円ちかくしたバス代でなにか悪いことをしてしまったような罪悪感におそわれた。
早くボリビア物価からの切り替えをせねばならん。