チェスキー・クルムロフ→ウィーン→そしてなぜかボスニア・ヘルツェゴビナ

7月11日

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ヨーロッパの移動をなめたらいかんぜよ!!

いきなり格言からスタート。

物価が高いくせによく調べもせずに移動するという、貧乏人のくせに何様な移動方法でヒドイ目にあった挙句、なぜかボスニア・ヘルツェゴビナにいたというお話。

 

時はチェスキー・クルムロフに戻る。

美しきチェスキー・クルムロフもおさらばして、我々は南へ向かう。

そう、ヨーロッパの火薬庫バルカン半島へ。

ここも行く気などサラサラなかった。

しかし東欧をやたら勧められ、いざ来てみるととても楽しかったので、ここから一気にトルコまで陸路で行こうということに。旧ユーゴスラビアも物価が安いというし、なんとも行き当たりばったりな貧乏旅行だ。

 

さあ、久しぶりのがっつり陸路移動。

しかもここはヨーロッパ。少しのミスが大赤字に発展する。

我々が目指すのはクロアチアアドリア海を望むドブロブニク

そう、紅の豚のモデルになったとかならなかったとかいわれる町。

憧れのアドリア海で平泳ぎをしたいというリゾート気分を味わうために、南下を決めたのだ。

 

そうなるとチェコからの移動では、どうしてもオーストリアを通らなければならない。

そのオーストリアは物価が高い国として有名。ここは失敗すれば大変なことになるので、頑張って調べたつもりだったが・・・実際大変な目にあった。

 

まずはチェスキー・クルムロフからどこへ行くか?

やはり東欧の中心はオーストリアの首都ウィーン。まっすぐドブロブニクへ行くには結局はウィーンに行くことになる。

チェスキー・クルムロフからリンツへ行き、そこから電車でウィーンというのが一番正確かつ早い。しかし高い。

なのでチェスキー・クルムロフから隣町のチェスケー・ブディェヨヴィツェに行き、そこからバスで東にあるチェコ第2の都市ブルノに行く。そこからはウィーンまでバスで2時間だ。これなら2000円位で行ける。

バスという時間に曖昧な乗り物での乗り継ぎだったが、「まあ、ウィーン行っちまえばなんとかなるっしょ」と適当に考えていた。

 

チェスケー・ブディェヨヴィツェからブルノまでは3時間。前日バスターミナルで聞いたところ7時15分と9時の便があった。どちらもブルノでうまく乗り継げば夕方にはウィーンだ。ウィーンは高いしそんなに見たいものもなかったので、

「夕方からちょっと観光して夜行でクロアチアに行けば良いや」なんて甘っちょろいことを考えていた。

 

そして移動の朝、いきなりだがちょっと寝坊した。

チェスケー・ブディェヨヴィツェまでは15km。5時半からバスは出ている。6時のバスに乗れば余裕だと見たが、この15分の二度寝のためにすべての歯車が狂い始めた。

チェスキー・クルムロフのバス停に着いた時、たった3分前にバスがでていた。

でもすぐに次が来る。6時20分のバスでチェスケー・ブディェヨヴィツェへ。しかし、朝の通勤時間。道は混むし、ひっきりなしの乗り降りが続いて一向に進まない。

チェスケー・ブディェヨヴィツェのバスターミナルにやっと着くと、またしても3分前にブルノ行きバスが出て行った後だった。

 

まあここまでは良しだ。9時の便がある。早起きしたし仮眠でもとるかとゆっくり待って、9時のバスでブルノへ向かう。200コロナ(1000円)

ブルノからウィーンのバスは13時半と15時半だ。ブルノまでは3時間。余裕があるので余ったコロナの使い道を考えながらもぐっすり眠っていた。

 

ブルノ着。13時20分。

時計を見ると・・・ん?

なぜだ!4時間以上もかかっとるではないか!

急いでウィーン行きバスを聞くと「違うバスターミナルですよ」とチェコのバスターミナルのインフォーメーションにしては優しげなお姉さんが言った。

グランドホテル前バスターミナルへ向かうも、すでに時遅し。

ああ、ウィーン観光の時間が無くなってしまう。仕方ないが15時半のバスで夕方だけさらっと見て回ろう・・・

「15時半のバスは売り切れです。次は19時半ですけど、どうします?」

 

 

 

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まさかの19時半。

ウィーンを観光どころか、夜行バスに乗れるかも怪しいところ。

ブルノで泊まろうかとも考えたが、もうチェコの通貨残ってないし、こうなったらぶっつけで行ってやることに。

※こういう時の人間は100%失敗するということは歴史上何度も繰り返されている。

 

 

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せっかくなのでブルノ観光。

マクドナルドで日本語ペラペラなおじいちゃんと話したりと意外に楽しい時間ではあった。

 

19時半、ウィーン行き。

先行き不安すぎて、何も考えたくない気分だ。

もうどうにでもなってしまえ!!と思っている時ほど現実に捻り潰される。

バスターミナルに着くと、そもそも夜行バスがない!

※あとで知ったが僕らが到着したスタジアム横バスターミナルは、発着本数がかなり少ない。

 

 

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結局、23時に地下鉄に乗って中央駅へ向かう。

地下鉄2.2€。チェコだったら4Lビール買えるわとか文句言いながら。

 

中央駅へ向かったのは、あわよくば夜行列車でも乗ろうかと思ったのと、寝心地良さそうだったら駅で寝ちゃおうかとも思っていたからだ。しかし、0時過ぎると電車はなくなるようで、閉められちゃいそうだった。

たった15分の二度寝でこんな羽目に。さらにウィーンに遅く着きすぎたために、調べていたバスや電車もとっくに出て行ったのでもうお手上げ状態。

 

と、こんな哀れで無知な貧乏旅行者に救いの神は「ヤレヤレだぜ」とか言いながら降臨してくださった。

中央駅の中の看板に「ここから250m先に15€で泊まれるホテルがあるよ!」

なんと適当に行った中央駅すぐ横に、オーストリアにしては破格の安宿があった。

学生寮みたいなつくりで夜中まで若者が騒いでいたが、なんとか寝床にありつけた。

 

「なんとかなるさはなんとかならない」という戒めの鞭でしごきにしごかれ、己の他力本願さに参った一日だった。

 

 

7月12日

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一大観光都市オーストリアで唯一したことは、名物のうっすいとんかつを食っただけだった。

どうやらオーストリアとは相性が死ぬほど悪いらしいというか、ただただ計画性のなさに泣く。

ここからはさらにびっくり仰天怒涛の大移動が待ち受けていた。

 

 

起きてすぐ最寄りの駅のインフォーメーションへ。

泊まった安宿はネットが有料ですごく高かったので、ローカルな手段で行く。

貧乏人は足を使え。

電車料金はやっぱり高いので、バスに乗ることにする。

地下鉄に乗ってバスターミナルへ。

 

バスターミナルは意外に小さかった。

駅のインフォーメーションの伯父さん曰く、クロアチアザグレブへはバスがたくさん出ているという。

僕らの狙いはただひとつ。夜行バスだ。

移動もできて宿代が浮く夜行バスは、バックパッカーの母親的存在だ。

バスターミナルで聞いてみた。

ザグレブ行きの夜行ありますか?」

「今日は金曜日なのでありませんね」

 

まさかの悪夢の金曜日。

オーストリアのバスは金曜日だけ便数が大幅に減るようだ。

他の便を探しても近場ばかり。

しかもクロアチア行きは何箇所かあるが、なぜかみんな到着が22時前後。これって観光もできないくせに宿代が吹っ飛ぶという、バックパッカーの弁慶的存在である。

 

しばらく時刻表とにらめっこ。

ウィーン発だと先進国行き(ドイツ・イタリア・ベルギー)は夜行バスがあるが、その他は遅い時間に着くものばかり。なんちゅう傲慢な!ハプスブルク家か!!とツッコみたくなる時刻表。

 

ん?

 

13時30分発~5時30分着

モスタルボスニア・ヘルツェゴビナ

 

唯一あった夜行バス。なんかモスラでもいそうな怪しい名前。そしてボスニア・ヘルツェゴビナという怪しい響き。

行くしかねえ!長渕剛のように叫んだ我々はクレジットカードを、受付の小窓に押し込んだ(50€)

 

 

結局オーストリアには駅と安宿とスーパーマーケットにしか行かなかった。調べ不足もあったが、ここまで相性が悪いとは、COMPLEXもびっくりなビー・マイ・ベイビーだ。

 

バスは普通の観光バス。

目指すボスニア・ヘルツェゴビナまでは何とも長ったらしい山道を延々と進む。

途中、何度も何度もパスポートチェックがあったり、たまにスタンプ押されていたりしたが、一体どこで何をされたかもわからない。おそらくクロアチアに入ったり出たりしているのだろう。

挙句の果てに夜中の1時半に起こされてパスポートチェック。もうかれこれ5回目くらいで、スタンプも他のスタンプの上から適当に押すので、果たして無事出国したのか入国したのかもわからない。

それに寝たような寝てないようなでいきなり降ろされる。

モスタルに着いたようだ。

4時30分。あれ?1時間早い。あたり真っ暗。

寒さに震え、日が出るのをただただ待つ。

 

 

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日が出てきても疲労困憊には変わりない。

観光する気もなく、朝一のバスでドブロブニクまで行こうとも思ったが、せっかくだし歩いて観光。

ボスニア・ヘルツェゴビナといったらもう紛争のイメージ意外何もない。そう思って町中をよく見ると、あの家もこのビルもリアルな弾痕や爆破のあとがあるではないか。

 

 

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昨日まで仲の良かった隣人同士で殺し合うという民族のバトルロワイヤルをしてしまった旧ユーゴスラビアの国々。歴史好きな僕だがここまで凄惨な戦争は人類史上なかなかないはずだ。

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、2つの文字、1つの国家といわれたユーゴスラビア

その崩壊とともに起きた悲惨な戦いは未だ大きな爪痕を残していた。

 

 

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この弾痕まみれのビルや家には普通に人が暮らしている。

何の変哲もない普通の民家ですら戦争の傷跡が残っているところを見ると、本当に町の中で住人同士が銃を取って戦ったのだと思い知らされる。

 

 

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スターリモストはボスニア・ヘルツェゴビナにある数少ない世界遺産の一つ。オスマン・トルコ帝国時代の名残を残すこの美しい橋も、戦争中に破壊されたとか。

町はヨーロッパっぽいのに、旧市街にはイスラム建築が多い。バルカン半島多様性と火薬庫と呼ばれる由縁がわかるような気がする。

 

 

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7時のバスのチケットを買ったけど乗ったのは40分遅れ。さらにチケットを買ったのに、席が足らないので30分立ってた。

モスタルからドブロブニクまでは3時間の距離だ。極度の疲労と眠気で心配していた出入国も寝ぼけていたら終わっていた。何とも簡単というか適当なチェックだけだった。

車窓にはやっと待ち望んだアドリア海が見える。これぞ紅の豚の世界。

僕は日本海の寂れた漁村生まれなので、やはり海が恋しくなる遺伝子に巻きつかれている。

そういえばモロッコを出てからずっと山の中だった。

久しぶりの海はより一層青く輝いて見えた。

 

 

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ドブロブニクまではあともう少し。

長かった移動はちょうどウィーンから24時間かかった。

最後にもう一度。

 

ヨーロッパの移動をなめたらいかんぜよ!!

 

計画はしっかりしませう。