路上のタンゴ
その時の僕は人が見たらコソ泥のようだったかもしれない。
南米のパリとよばれるアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。
二度の大戦で焼け野原になったヨーロッパではもう見ることが出来ない、古き時代を残す姿からそう呼ばれている。
本家からやってきた人達は銀の川を上り、荒涼とした大地にこのブエノスアイレスを作り上げた。
そんな歴史ある町の只中で、僕は財布とカメラを手汗でグッチョリするまで握りしめながら歩いた。
美しさとは裏腹にブエノスアイレスは治安が悪い。きれいなバラには刺があるってやつか。
メインストリートから1ブロック入ったら強盗にあった、白昼に拳銃を突き付けられた、車に押し込まれて身ぐるみ剥がされた・・・
良い話は殆ど聞かなかった。
そんなわけでいつもの相棒OM-D E-M5はホテルに隠しておき、サブ機のボロいコンパクトカメラを携えていた。一眼レフカメラは強盗に人気らしい。
せっかくの華やかなサンデーマーケットもなぜか落ち着かない。道行く人達の目が、どこか僕を品定めしているように見えなくもないからだ。
人混みの中を押し出されるように歩いていると、人集りの中から小気味よい音楽が漏れだしている。
恰幅の良いおじさん連中の横から覗くと、まさに今からタンゴが始まろうとしていた。
髪をべったり固めたスラリとした男、綺羅びやかではないが品のあるドレスを着た女、そしてギターとアコーディオン。小石が転がる地面に黒いシートを敷いただけのステージで、しずかにタンゴが始まった。
すぐ後ろでは巨大なウインナーを炭火で豪快に焼いていた。もうもうと湧き上がる煙が風に乗って彼らのステージに這うように近寄ってくる。目の前ではウインナーを頬張りながらビールをかっ食らうおっさんがずり落ちそうになりながらパイプ椅子に座っている。表はサンデーマーケットでひどい混みようだ。
それでもタンゴは淡々と踊られていた。
止揚と流れのちょうど中間を縫うように舞う男女のシルエットの残像が、ウインナーを焼く煙の中で揺らぐ。
この時ばかりはカメラのことも財布のこともすっかり忘れて見入っていた。
そのあとウインナーを買ったのは言うまでもない。