旅とサルトル
僕が世界一周の旅に至った道というのは、それはそれは複雑な事柄の絡み合った先にあるものだった。
人間の行動というものは、過去の経験や本や映画、そして飲みの席でのちょっとした会話のようなものまでが無意識下で組み合わさって形作られるものだと思う。
僕が仕事を辞めて11ヶ月も世界一周の旅に出たというのも、ある意味必然だったわけだ。
それでも世界一周の旅へと僕を強く押した要因がある。
まずは本や映画だ。
あるときは本の主人公に自分を重ね、あるときは映画のような人生を夢見る。つまらない日常の中で誰もが試みる現実逃避。
そんな妄想のまどろみの中で必死に自分に問いかけるか、それとも時間を運命論的に消費するか、そういった生き方の指針、若しくは問題提起してくれた人がいる。
それがジャン=ポール・サルトルだ。
といってもそんなに読み込んだわけではない。
著作も読んでは見たがこっちが吐き気するような難解なものばかり。
そもそもサルトルを知ったのは僕の好きなチェ・ゲバラが彼を信奉していたという文章を見たからだ。
ぱっと見のビジュアルの凄さ(北一輝っぽい怪しい感じ)とかノーベル賞を辞退したとかボーヴォワールとの変な関係だったりとか調べてみると謎なことばかり。
それでもサルトルの思想の簡単な解説書や本人の講演集などを手当たり次第読んでみた。
実存主義(本人はこう呼ばれるのを嫌っていた)というへんちくりんな思想だったのだが、ルーチンワークに何の変哲もない日常に退屈していた僕を十分惹きつけるだけの面白さがあった。
間違いなくサルトルの思想は僕を世界一周への旅へと向かわせる動力の一つになった。
実存は本質に先立つ
サルトルといえばこの言葉が有名だ。
例えば、人間性という例を挙げ、人間性というものは存在するかもしれないが、その存在は初めには何をも意味するものではない、つまり、存在、本質の価値および意味は当初にはなく後に作られたのだと、この考え方では主張される。
このように、この考えはキリスト教などの、社会における人間には本質(魂)があり生まれてきた意味を持つ、という古来からの宗教的な信念を真っ向から否定するもので、無神論の概念の一つにもなっている。
ここにある「実存」とは「今ここにあること」であり、「本質」とは「何かであること」だ。
こういう哲学的な単語がでると考えない葦と化してしまう僕だが、サルトルはイメージしやすいたとえを提示している。
本質=肩書き
肩書きとは「社長」とか「公務員」とかいうものを思い浮かべるが、ここではもっとカテゴリを広くする。
例えば「女性」だ。
女性というカテゴリだと何を思い浮かべるか?
女性=母親、主婦、おだやか・・・なんていう田嶋陽子先生がブチ切れそうなワードが浮かぶだろう。
これは女性=女性らしさを求められることをいう。
まあ今ではそこまで酷い性差別は減じてきているが、サルトルの時代では未だにキリスト教的な女性像が求められていた。日本で言う大和撫子(絶滅)みたいなものだ。
このように「女性」=「女性」だから「料理ができるはずだ」の『だから』の部分が本質(とされるもの)だ。
他にも「学生」「日本人」「社会人」などもそういえる。
サルトルがいう「実存は本質に先立つ」というのは、すごく簡単に言うと「肩書きとか運命とかそんなもんで俺を縛りつけんじゃねえよ。自分のことは自分で決めらぁ!!」という感じだ。
これは日本人の好きな自己責任という言葉が全てを表している。
ここでいう責任というのは自由からの選択という意ではない。
「アルバイト店員」や「派遣社員」というカテゴリだから、「いくらでも代わりがきく」→「安くこき使っても良い」→「その立場を選んだのは自己責任だから」というブラック企業の誕生につながっていく。
これは最初から「~だから」があるという前提で始まっている。
これを本当の自由といえるだろうか?
実存主義は「○○は~であるべき」という前提を疑う行動哲学なのである。
人間と物の違い
じゃあ本質が先立つこととはなんだろう。
それは例えばコップだ。
コップは飲み物を飲む時に使うものとして作られた。
コップを作った人は水を飲む物=コップとして作ったわけだ。
だからコップは誰が見てもコップであり、コップ自身もあるがままにいるだけでコップだといえる。
では人間とは?
サルトルは人間とは「そうであるものでなく、そうでないもの」と言っている。
人間のアイデンティティとは不確かなものだ。昨日の自分と今日の自分が全く同じとはいえない。
だからこそ人間は本質を作って「自分をあるものにしよう」とする。
サルトルはカフェで働くボーイを見て、「彼はボーイを演じている」と言ったとか。
彼は「ボーイではないからボーイを演じなければならない」=「そうであるものでなく、そうでないもの」だから演じなければならないのだ。
だから自分探しや運命なんてものはないとサルトルはいう。
人間は何のために存在するか決まっていない。だからこそ本質とは行動を通してあとから決まるものなのだ。
サルトルのいう自由とは「他のものになるという可能性をもつ」ことをいう。
階級の消え去った現代、人間を何かの肩書きに押し込めるというのが主流になっている。大昔は階級というわかりやすい枠組があったが、近代国家の成り立ちにそって階級は崩壊し、それでいて国家運営上良いということで肩書きが次々と発明された。
だからこそ「ニート」は存在を真っ向から否定される。ニートには肩書きがない。学校にも会社にも所属していないからだ。
現代人は人に「肩書き」や「こうあるべき」というのを押し付ける。
そこにルサンチマン臭い「嫉妬」が見えてくる。
「自分達はこうなんだから」「自分達はちゃんとしているんだから」という「自分達は」というのが目につくのだ。
これは自分のアイデンティティを守り確認する行為である。
今流行のヘイトスピーチなんかまさにこれではないのだろうか?
人間はどう生きるべきなのか?
サルトルの思想をかいつまんでいくと、人間こそ主体的に生きることができる存在だと考えられると思う。
なぜなら人間は自由な世界を持っているからだ。
ハイデガーは動物と違って環境を選ばない人間は、環境を超越し時間性のある現存在を生起できると言った。
だからこそ、ラッキーな事にせっかく自分の世界を作り出すことができる人間に生まれたのだから、肩書きや他人の目を気にせずに人生を謳歌するために行動することこそが幸せだと思う。
このちょっと中2病的な選民思想を自覚できた人間こそ、歴史に名を残す偉人であり、人生を十分に生き切った幸せな凡人になれるのだ。
サルトルは一時のブームが過ぎ去ったあとは徹底的に批判され、時代の波に消えてしまった思想家でもある。
だが今こそこのサルトルの実存主義こそ必要な時代になってきたと思う。
インターネット社会になったことにより、肩書きやレッテル貼りが手軽に広範囲に、そして躊躇なく行われるようになった。
肩書きやレッテルを無くすために自由を勝ち取ろうとした人間の歴史がここに来てタイムスリップしてしまったように思う。
究極に自由なインターネットの世界が生み出した情報の波は、逆に現実社会を細かくカテゴリ化することになってしまった。
それにより孤立への恐れ、失敗することの恥ずかしさ、他人への嫉妬、そんなものばかりのつまらない時代になってしまった。
以前の僕の職場もそんなところだった。
つまらないことで揚げ足を取り、自分は何もしていないのに他人を神のごとく裁定しこき下ろす。そしてそのせいで自分達の行動範囲をどんどん狭めてしまう。
そんな小さな集団にいることが嫌で嫌でたまらなかった。
が、その小さな集団の中で評価や共感を求めている自分がもっと嫌だった。
だからこそ旅に出ることにした。僕の旅への動機は小さな集団からの脱出だったのか、それとも昔からの夢だったのか、どちらが強かったのだろう?これは今でも分からない。
でもサルトルの本を読むことで、そういうしがらみに取り込まれている自分を透かして見ることができるようになった。
これで大いに足を踏み出せる動悸になった。
「実存は本質に先立つ」をまさに実感した瞬間でもあった。
根拠なき自信、ただ前を見る勇気、失敗を受け入れる覚悟、サルトルが言いたかったことをかなり僕風に無理矢理ご都合主義よろしく注釈するとこんな答えになった。
サルトルは違うと言うだろうが、僕はそう解釈することで旅への一歩を踏み出した。
別に旅に限らず、何か行動してみたいけどどうも踏ん切りが付かない、周りの目が気になる、自分に自信がない、そんな人はサルトルの本を手にとってみよう。
肩書き(今でいうキャラも)をほっぽりだせば、本当の自分がどうしたいかなんてことはすぐに出てくるはずだ。
あとは一歩踏み出すだけ。
それは自分の価値観だけを信じれば良い。お金にならなくっても、かっこ悪くても、他人にバカにされようとも、本当にやりたいことなら結果がどうなろうと後悔はしない。
肩書きやレッテルばかり気にしていると、結局何もしない人生になってしまう。
死ぬ3分前に「ああ、人生楽しんだ」と思えるかどうか、それが幸せの唯一の尺度だ。
たぶん僕は死ぬ3分前にこう思うだろう。
「・・・チェコのビールうまかった」
ああ、素晴らしき哉、人生!
サルトル自身が一般大衆向けにわかりやすく実存主義を噛み砕いて披露した講演の模様を収めた本。
サルトルはこの本のせいでなんちゃって実存主義が増えたことにえらい後悔したらしいが、とてもわかりやすいのでサルトル入門書としておすすめ。
サルトルの名を一躍広めた小説。「嘔吐」というすごい題名だが、原題は「吐き気」「むかつき」に近いらしく、日本語翻訳版だとすでに豪快に吐き切ってしまっている。初期の作品なので思想的にまだ固まっていない部分もあるが、ロカンタンに感情移入しやすい人も多いと思う。
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哲学というのはちょっと数学的な部分もあるせいで、文系脳の僕にとっては難解でただただ辛い。そんな時は図解入りの入門書が良い。この記事の文はだいたいこの本をさらに簡単にしたもの。
映画にもなっている。まだ見れていないけど。近所のゲオには無いんだよなあ~