実録:なぜ私はLeicaM3を買ったあとにLeicaR8を買ったのか?

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題名を見て何が起こったのかわからなくなってあわあわしている諸兄には申し訳ないが、これは事実である。

恐るべしカメラ沼!レンズ沼!ライカ沼!

では、そんな病理に蝕まれた自らの魂を献体し、LeicaM3からLeicaR8(恐怖の初期型)までの道のりをブリッツしていくことにしよう。

 

 

 

LeicaM3より愛をこめて

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この記事には思いのすべてを託しました。

M3購入は悲願であり、夢でした。

それこそ、V2ロケットばりに思いを託して、人生最後のカメラくらいの気持ちだった。

・・・が・・・というか・・・チェンバレンを装ってはいたが内心チャーチルばりの確信で先行きがきな臭いことは覚悟していた。

 

 

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それで「RICOH GR」を買っていた。

これはレンジファインダーカメラの手軽さ、軽快さ、そして写真撮影の本来の趣味性をM3にこれでもかと突きつけられたのが原因だった。

M3のおかげ?で楽天ポイントが腐るほどあったし、ということでカメラを買ったポイントでカメラを買う、まさに二毛作である。

もうこうなればバスに乗り遅れるな!である。

 

 

慰めのNikonF3 

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でもやっぱりフィルムカメラは楽しい。

だがどうしてもLeicaM3は丁重に扱いたくなるし、家族や都市スナップ撮影向けのカメラだと思う。

カメラに厳しい環境だったりすると、さすがに半世紀以上昔のカメラを持ち出すのは気が引ける。

ということで、そういう時にはいただきもののF3を使うことにしたのだが、このF3ちょっと挙動がおかしい。メッサーシュミットMe262くらい挙動がおかしいんです。

たぶん露出計が少し狂っているか、僕の露出の取り方が下手だったせいもあるのだが。

あとフィルムのズレなんかもあるしなあ。

 

そんな時である。

また僕の脳内で短絡的な思考回路がショート寸前となった。

『登山なんかで使う時は、露出計付き機械式シャッターのカメラが良いのではなかろうか?』

頑強、故障しづらく、電池問題なし、まさしく(沼)男の中の(沼)男が持つべきカメラ。

 

dc.watch.impress.co.jp

実はLeicaM3並みに欲しいカメラがあった。

NikonF2チタンモデルである。これはかの有名な冒険家植村直己が北極などの極地探検で使用するために使ったウエムラスペシャルの市販版という位置づけ。

植村直己は僕が尊敬する戦後日本人No.1であり、

 

新装版 青春を山に賭けて (文春文庫)

新装版 青春を山に賭けて (文春文庫)

  • 作者:植村 直己
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2008/07/10
  • メディア: 文庫
 

この本で人生狂わされた口である。

まあどう狂わされたかは、このブログが物語っている(最近はカメラ趣味ブログになっているが)

『家族や町での撮影はLeicaM3、自然はF2にすればもう最強じゃないか!』

何が最強かはわからないが、男子ってこういう所あるんですよ。小学生時代は傘があればアバンストラッシュとか九頭龍閃できたわけですよ。

 

というわけで、F2を調べ上げる。

フィルムカメラ好きは、この購入候補の徹底調査こそが「本番」である。

購入したあとの撮影なんか実はどうでもよく、購入までの過程こそがカメラ沼人間の生きる醍醐味。

本末顛倒ではあるが、悲しいけどこれが沼なのよね。

 

もちろんF2チタンモデルはプレミア価格で20万前後という国産のくせに高飛車高慢ちきなお値段。

でもこの値段のおかげで所有感と物欲を満たしてくれるというのが、カメラ業界では常識。

一般庶民でライカとかに手を出す層は自他ともに認める「ネジが外れている状態」であるため、金銭感覚も逆断層となっている。

ネジ外れはうまく機能すればグデーリアンになれるが、イカれると牟田口廉也になる。

だが僕は辻政信になることに・・・

 

 

 

NikonF2は二度死ぬ

絶対ニコン主義!―なぜ僕たちはNikonに魅了されるのか   エイ文庫

絶対ニコン主義!―なぜ僕たちはNikonに魅了されるのか エイ文庫

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: エイ出版社
  • 発売日: 2002/10/01
  • メディア: 文庫
 

NikonFは非常に良いカメラであることは言うまでもない。

実際、F3とD750というFマウントカメラを所有しており、Nikonについては絶対の信頼と羊羹の甘みを知っている。

しかし、F2を買ったとしたらどうなるか?

沼賢者タイムである。

「電子シャッターだけどF3でも十分過ぎるのに、機械式というだけでF2を買うのか?」

「F3をメンテナンスに出せば良いじゃないか」

「F2買っても、結局チタンモデルが欲しくなる病が重篤化するだけな気がしてならない」

「あえてのキャノン?ペンタックス?」

「いやいや、無骨なブラックF2フォトミックの扶桑型のような歪なシルエットこそ至高!」

「F3とF2並べたらF欲しくなって、さらにSとかにいってしまいそうじゃ」

「諸君!一旦冷静になろう!」

 

我がLeicaM3はsummicron沈胴くん(50mm)のセットでしか使わないつもりだ。

Mレンズは価格がビスマルク級であるため、このセットしかダンケルクという状況である。

そもそもM3は50mm専用機と言っても過言ではなく、そして僕が一番好きな画角でもある。

家族や都市部でのスナップ写真には歴史上でも最適解なセットメニューとなっている。

だがスマイルはつかない。

 

デジタルはD750(レンズいっぱい)とGRがあるので、もう十分すぎるほど。

 

あとはフィルムカメラで、M3以外の用途をカバーしてくれるカメラが欲しい。

そうなれば「ぼくのかんがえたさいきょうかめら」旅団が完成するのだ。

そこでF2という選択肢であったが、やはりF3でも十分だという気がしてならないし、今更Fマウントレンズをゴロゴロ増やしてもなあという感じがしてきた。

F3は素晴らしいカメラであるし、ジウジアーロデザインもナウいセンスで好みではあるが、なんせ「ちゃちい」のだ。

これはM3のせいだ。M3の小さいのにズシッとくる「圧倒的高密度感覚」。ずっしりと何かすごいものが詰め込まれてパンパンではちきれそうなのに冷静沈着な感じがたまらないのだが、それと比べるとどうもちゃちい。

まあ価格差からいっても当たり前なのだが、ここで僕は数週間にも及ぶ悶絶の自己内省の闇の中から真理を文章化することに成功した。

「フィルムカメラは完全なる物欲の独壇場」

そうなのだ。フロイトもびっくりの自己洞察、そうだ、このご時世フィルムカメラなんてアマチュア者にとっては、機能や作品で勝負するために買うものではない。

「所有欲」である。

結局、僕にとってNikonは「機能」であり、所有欲を満たすものではない。

まさに国産製品の全てに言えるのだが、逆説的に僕のフィルムカメラに求めるものはApple製品的な所有欲なのだ。

 

そもそもLeica買った時点でご明察なのだが、ミーハーばりばりな軟派カメラ趣味者の端くれだと自認する時がついに来たようだ。

『デザインと物欲のみで決めちゃおう』

あ、完全に開き直った。

最近、仕事頑張ってるし、冬ボーナス1円も使ってないし、腕時計買うの我慢したし、冬タイヤ自分で替えたし、正月以外は発泡酒で我慢したし、し、し・・・

無限に続く言い訳、その言い訳のために手にした本でまた散財。

 

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そうです。前回の記事は新しいカメラ購入のための永い言い訳なのです。

 

 

私を愛したLeicaR8

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そして手にしたのは・・・・

 

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LeicaR8キミに決めた!

自分でも何が起きたのか皆目見当もつかない、まさに欧州情勢は複雑怪奇!

まさかちょっとしたF2欲しさが、二転三転百転したあと王立宇宙軍のロケットで宇宙に射出されてSOLで打ち戻された感じです。

そう、またライカ、結局Leica、なんてったって Ernst Leitz Wetzlar!

しかもライカの一眼レフだよ。

Rレンズだよ?

 

F2にしっくりこない僕は、またマップカメラ島やナニワグループオンライン山の定期偵察へ向かった。

「う~ん、Mライカはやっぱりダンケルク」

「ここは中判カメラや!」

「倫理的にカール・ツァイスという転換」

「あえてのNikonF5?」

「それともα7Sでオールドレンズ遊び?」

もう自棄糞になった僕は、ライカRの魔境に踏み入れた。

ライカR=ライカの一眼レフは、M3に胡座をかいて一眼レフの潮流に乗り遅れたライカがプライドをかなぐり捨てて主要敵国JAPANのカメラメーカーに作らせた『とりあえず一眼レフもありまっせ』モデルという印象であった(ライカフレックスを除く)

・・・が、しかしそこでライカR8というバクダンおにぎりみたいなカメラが目についた。

そこには、僕のようなヴィシー政権的精神の持ち主を一発で撃ち抜く一文が書かれていたのだ。

 

『完全自社設計』

なんやて工藤!?

R8とR9だけ完全自社設計やて!?

なんと、1996年発売のR8はライカが作った一眼レフなのであり、R9は通称R8.2とか呼ばれてるマイナーチェンジモデルなので、R8こそライカが本気で拵えた一眼レフカメラなのだ!

さらに汪兆銘政権的精神の持ち主である僕が膝から落ちる一文が書かれていた。

 

『めっちゃ不評』

この田舎のコンビニのバクダンおにぎりのようなライカらしからぬ妖気漂う異様なデザインは、発売当時大不評。

まさに大島てるも大注目な曰く付きモデル。そしてRシリーズにとどめを刺したジオング的存在なのだ(R9でおしまい)

あの工業製品を超えた機能美により世界から絶賛されたM3を作ったメーカーが、高級バクダンおにぎりを拵えたのだ。

ドイツの貴婦人が息子の弁当箱にバクダンおにぎりを詰めてよこしたのであるから、そりゃそうなるわなという気がしないでもないが、曰く付きモデルであることは言うまでもない。

さらにさらに大東京帝国的精神の持ち主である僕を圧死させる一文が書かれていた。

 

『Rレンズは安い』

安いというのはライカMレンズに比べると相対的に安いという意味であり、数十年前の設計のレンズにしてはミュンヘン一揆を起こしたくなるくらい不当に高いのには変わりはない。

しかし、ライカレンズが10万円以下で買えるなんてバーゲンセールでしょうと思うくらい金銭感覚がツァーリ・ボンバしているのでこれはたまらない。

といいつつ、買ったレンズはまたひと悶着あったのだが・・・

 

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レビューはこちらです。君はLeicaの深淵を見たか?

 

 

 

No Camera To Die

もうさっき書いたとおり、購入理由はデザインです。

デザインとは視覚情報だけではなく、その周辺領域にあるストーリーが含まれます。

デザインは無機質なものではなく、有機体であり、生物のようにDNA情報を脈々と受け継いでいます。

このR8も、ライカという歴史、M3が完璧であるが故に隆盛を極めた一眼レフカメラという歴史、ミノルタライカという歴史、そしてそれを乗り越えて生み出したR8がバクダンおにぎりと言われ罵倒された歴史などなど、この周辺領域の情報量と密度が多ければ多いほどデザインは雄弁となり、人間の感受性と脳へ直接訴えかける煽動家となります。

この話を職場の女性にしたところ、「iPhone買えば良いじゃん」という完全無欠の絶対真理を説かれてしまい、枕を濡らしたのは言うまでもありませんが、男という生物はこういうのに弱いんです。

 

とにかく男というのは、こういうデザインの裏側にあるストーリーを愛します。

袋とじページが気になってしまうのも同じ原理です。

男という生き物が、女性から見て馬鹿な買い物をするのは偏にこのストーリーによるものです。

枚挙に暇がないですが、例えばハーレーダビッドソンのバイク。クソ古い設計の音だけうるさい鈍重ノロノロバイクであり、最近の国産バイクのスペックに全くカスリもせず、だがしかし不当に高いにもかかわらずバンバン売れています。

ですがHarleydavidsonには、ロマンがあります。ちょいと跨がればBorn to be wild!、ダ~ダダッダダッダッダッダ♪

時計もそうですよね。クロノグラフの方が圧倒的に正確だし維持費も安いし、最近だとソーラー電波時計なんてまず狂わない。こんなご時世にゼンマイ巻き巻き機械式腕時計に大枚払って、オーバーホールにさらに大枚払うなんてメーカーのカモじゃないかと思われるでしょうが、ステータス=ストーリーという高密度な情報により重力の磁場が乱れて男児垂涎の逸品となります。あと絶対10000mも潜らねえから。

アウトドアメーカーの異様なスペック競争、そんな日に山なんて行かねえよってレベルのスペック狂想曲。

車、ゴルフ、釣り、切手集め・・・まさに枚挙に暇がない!

 

話が周回軌道を逸れましたが、要するにライカとはこういう情報量と密度が圧倒的なんです。

ライカはブランドイメージ作りが美味すぎですね。AppleやROLEXやHarleydavidsonなんかもそう、国産メーカーが死ぬほど苦手なブランド力ってやつです。

結局資本主義経済的に見ると、ライカはカメラ業界シェアを一瞬で日本メーカーにぶち抜かれましたし、スイス時計メーカーもSEIKOのせいで軒並み潰されましたし、英米の車・バイクメーカーも日本メーカーに杉谷善住坊みたいに無残な・・・

ですが、人々が語り合うのはブランドです。

昨今、家電などのシェアが中韓メーカーに制圧され、身売りする大手会社まで出ている日本ですが、結局ブランド力が無いと新興メーカーのなりふり構わない物量作戦には勝てません。あくまでも工業製品なので、人々は東芝のテレビが欲しいのではなくて、程よくきれいに映るテレビが欲しいのです。価格競争に陥ると、日本メーカーの製品が勝てなくなるのは当然でしょう。

ライカは名前をコロコロ変えながらも、細々と野太く生き残っています。

 

ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で説いた通り、大量消費社会においてモノを需要ではなく社会文化的な記号として消費するのがブランドです。

平たく言えば、モノを機能ではなく記号として消費することで、個性を得るという感覚です。

現代社会は誰もが似たようなモワッとした存在です。階級も昔のように社会通念として覆っているわけでもなく、誰しもがスマホやユニクロの服など似たようなものを手に入れることはできます。

ミニマリズムが流行っていますが、これもまた記号消費であると思います。メディアに見せびらかすことがすでに記号消費のような気もしますし。

現代は記号=情報ともなっており、SNSなどでせっせと記号を消費することで個性を演出しています。

カメラでいえば、もうすでに手段としての撮影機能はスマホで十分です。撮影を本来の意味での情報の記録や芸術としてみても、iPhoneかデジカメ中級機で十分過ぎるスペックです。

 

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再掲しますが、僕は最近のプチフィルムカメラブームは、工業製品としてのカメラ需要のピークを突き抜けたからこそ起こった現象だと思います。

フィルムカメラ愛好者は、リンク記事で書いた通り、工業製品としてのカメラであった時代の自己コントロール感が充足できる不便な機械式カメラを愛しています。

これは人間の脳の自己コントロール感を重要視するということが、そうさせるのではないかという考察です。

便利過ぎるカメラは、撮影行為で主体性を感じるタイプの人間には合わないのです。

さらにカメラはもうとっくに記号であり、だからこそ「あえて」フィルムカメラを手にしてもいるでしょう。

「フィルムカメラという記号で、個性を演出し、アイデンティティを形成する」

フィルムカメラを持っているというだけで、アンチ主流派という記号も持てますし、カメラを本気でやっている人という記号や、単なるオシャレという記号もあるかもしれません。

これ全部自己満足なんですが、この自己満足の源泉が記号であり、その記号の意味は十人十色なのです。

他者との差異を見出すということが難しい現代において、フィルムカメラが持つ記号がどのように作用するかというのが、フィルムカメラの存在意義となっていると思います。

そもそもですが、カメラを使っているという時点でそれは記号消費なんですからね。

 

ここまで言っておいてなんですが、記号消費が悪いという意味ではありません

現代社会=記号社会なのであり、人間は他者との差異によって自らを位置づける生き物です。もうみなさんバンバンSNSにカメラを挙げちゃいましょう!

 

要するになんでこんなに長々しく演説をしたかというと、ライカR8を買ってしまったことへの贖罪という名の言い訳です

要するにライカR8を選ぶ俺なんてかっこええんだ!という記号であり、最近のデジタルカメラのスペック戦争による価格高騰に嫌気が差したのとレタッチとか面倒なのとそもそも撮影よりカメラやレンズ調べてる方が好きなのが混ざり混ざってR8が家に届いたのです。

いや~これほどまでにわけのわからない高額買い物をしたのが産まれて初めてなので、言い訳の量も膨大になってしまいました。

それもM3買ったばかりなのにね。う~ん、最終的には『沼』としか言い得ない。

以上、冬のスターリングラードより愛を込めて

 

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これが最後だと言ったのにね・・・麻薬中毒者みたいなセリフだなあ らいか