【動画集】フォビオンとベイヤーセンサーの比較、ついでにフィルムも
FoveonとBayer、この比較はそもそも設計思想が違うので比較する前提にないと言われればその通り。
画質番長Foveonは、カリカリ最強緻密描写ながら、融通がきかないことで有名。
便利屋Bayerは、スマホからカメラまで生活に密着している。
そんな比較動画、これはもはや感覚を超えた概念の嗜好であるため悪しからず。
※ここから先は上級者向けの内容になっていますので、レビュー動画を期待される方は全く無益です。ほんと全く。
そんなFoveonセンサーカメラで撮った写真を、35mmフィルム、そして中判フィルムの写真と比較してみた。
比較とはなんぞや、これは例えばサッカーと野球とカバディを比べて何が一番面白いか?と問うているようなもので、決して結論は出ない。
しかし、沼の住人は至高より嗜好なのである。
僕が見てほしいのは、写真が生まれるまでの過程であり、その面倒臭さこそが撮影者の主体性を演じる道化であり、それ即ち自分自身なのだ。
写真=結果であれば、どうぞ最新ミラーレスカメラを買いなされ。全くもって間違いはない。というか、iPhoneでしょ。
写真=撮影行為の探求であれば、不便で面倒くさいけどずば抜けた写真が撮れるカメラを買いなされ。
ようこそ、沼へ!welcome to the jungle!!!後ろは死屍累々!!!
そんな比較動画、こちらは海編。
Foveonカメラでも、さすがにこんなに晴れてたらスナップ撮影できちゃうんですね。
ということで、スナップ比較。
尖りまくったカメラ達・・・
Sigma dp2 merrill
LeicaR8/summicron-R50mm
plaubel makina67
こんな3台を持ってほっつき歩いているのは、世界でも僕くらいでしょう。
もちろんそんなことで悦に浸っているわけではなく、そんなカメラを選ぶ人間であるということはお察しなのです。
しかし、カメラ神に捧げる人身御供である僕は、この3台と共に即身成仏して沼の輪廻から解脱するつもりなのです。
その先にあるのは・・・8×10?それともIMAXで動画撮るかな?
クリストファー・ノーランに逆行パンチくらいそうだけど、欲しいカメラがどんどん古いものになっている僕はすでに時間という物理原則から逸脱しているとも言えなくはない。
いや、ただの消費社会の神話の住人なのである(ボードリヤール)
沼の住人は、消費社会におけるゲバラなのだ。レッツ!革命浪漫!
愛しのSIGMAfpちゃんも登場。
「決してSIGMAファンではないが、欲しいカメラがSIGMAにしか作れなかった」というのは何を隠そう僕の名言である。
fpはずっとLeicaのクセ球を付けっぱなしで、最近はLeicaレンズで動画を撮るという珠玉の贅沢によりヒーヒー言っている。
ということで、この比較動画も比較動画のくせに参考にならんセット。
単なるレビュー動画はできない。なぜなら、レビュー動画はわかりやすい商品を選ばなければ意味をなさない。
売れ筋の定番セットという極大分母があるからこそ、レビュー動画は成立する。
ではこの組み合わせはどうか?
なぜか僕の動画は外人からしかコメントが来ない。いや、ありがたいよ、ありがたいけどね。
だから僕の動画は基本的に英語で作成している。こんなイカれたカメラ達では、グローバル展開しなければ需要を掻き出せない。
Thanks!Google翻訳!
そんなイカれた愛機たちとともに、いつもの場所へ。
人里離れた、というか人間よりクマのほうが多い奥山にて、カメラを何台も変えちゃあ撮ったり撮らなかったりする、こんな幸せ他にはない。
同じ木をとっても、まるで違う写真が撮れてしまう。
当たり前か?否、それはスペックの話であろう。
僕の言っている違いというのは、撮影行為の記憶である。
あくまでも主体的な撮影行為であって、そこには『帰ってRAW現像でこねくり回してやろう!』なんて気はサラサラない。
僕はRAW現像ありきといわれるFoveonの写真すらJPEGなのだ。
なぜなら面倒くさいからだ。
撮って出しにすべてを賭ける。なぜなら、全てをその瞬間に完結させるためだ。
そう、面倒くさいからだ。
本当はRAW現像とかしたい。Photoshop使ってみたい。
けど、面倒くさい。SDカードをPCに入れるだけでも面倒くさい。
兎にも角にも、僕は撮影が好きなのだ。そこには自然を切り取るというハンティング要素があり、そこには3次元の情報と行為の所作から意識の情報が混ざり合い、そして自らの超独善的な主体的選択がある。
この種の選択は、現代社会においてなかなか経験することができない。
今や、結婚相手をアプリで探す時代である。
スタートからゴールまでの過程を如何に削るか、それに鎬を削っているのが一流企業のお仕事だ。
その中間マージンを捧げるためだけに僕たちは生きているのか?
我々は不毛なルーチンワークだけでなく、休息の時間のその瞬間までシステムに取り込まれている。
その偽りの豊かさの享受のために、偽りのアイデンティティを頂戴しているのである。
否!我々は主体的な生物である。責任は我にあり、だからこそ生きているという実感があるのだ。
ここに宣言しよう!趣味の沼の住人こそ、現代において確信的に生存しているホモサピエンスなのである。
そう、ジャレド・ダイアモンドは言ったそうな。あれ、ホイジンガだったかな?いや、ギレン・ザビでした。
いつもの如く脱線しましたが、現代社会において充足した趣味というのはまさしく精神を安定させる防衛本能なのです。
コロナで大騒ぎしているのに、仕事は普通に継続させられているなんて不自然ですよ。
休みたい、働きたくない、仕事が嫌なんじゃなくて好きなことしていたいだけなのに!
これだけガチガチにシステム化される教育を受けたのに、僕のような健康優良不良労働者が存在しているのは人類の希望なのか、はてまた愚かさの偶像化なのでしょうか?
要するに、カメラ最高!
参考文献
これ最高!いつか趣味世界と共に書いてみたい。
当たり前は当たり前じゃなく、たった今当たり前とされているだけ。
そのスパンはどんどん回転率が早くなっている。
それに気付くことができれば、僕のように労働無気力症により社会から弾き出されます。
日本政府はこの本を発禁処分にすべきだったんでしょうが、僕はもう読破してしまいました。
社会のシステムが如何に狂っているかがわかるアナーキー本。
これで働きたくないでござる知識武装ができるよ!新社会人は読んじゃダメ絶対。
これで僕も意識高い系・・・ではなく、意識飛んじゃった系!ヒャッハー!
ちなみに嫁さんに言わせればクソどうでもいいカメラ買ってんじゃねえぞって感じかも。