SIGMAfpと石見銀山スナップ~モノクロ
前回に引き続き、石見銀山。
今度はモノクロ編です。
Camera : SIGMA fp
Lens :Leica summicron-R50mm
モノクロ写真とは何か?についても書いています。
モノクロで撮ると、観光地であっても観光写真ではない「あえて」な写真ばかりになってしまう。
まだカラー写真が大衆化する前、写真は記録も表現もすべてモノクロ。
そして現代人の感覚では少しわからないのだが、1970年代にカラー写真が一般的になってからでも、表現写真=モノクロだったらしい。
芸術ならカラーでしょ!と今の僕なら思うのだけれど、ウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショアが世に出るまでカラー=素人だったらしい。
なぜだろうか?
まず言えるのは当時のカラーフィルムの品質が良くなかったこと。
たしかに当時のカラー写真を見てみると、ざらついた感じに褪せたような色だ。
まあ、今はあえてこのチープな感じをわざわざPhotoshopで拵える人までいるんだから、そこが写真の面白さでもある。
記録という視点に立つと、カラーの方が純粋に情報量が多い。
「あ、お気に入りだった赤い服だ」みたいな。
スーザン・ソンタグの「写真論」でもあったとおり、この時代から人間の記憶=写真になった。
カラー写真は記憶の補助から記憶そのものになった経緯の象徴でもある。
何かの記念の度に写真を撮り、観光地でも写真を撮り、遺影用に写真を撮るようになったのだ。
とりあえず撮る。
人間は自分の記憶よりも写真という情報から自らを知る。
物心つく前の自らの姿を両親の記憶から抜き取ることは出来ないが、写真を指差して「これが3歳のあなたよ」と言われれば納得ができる。
カラー写真が非芸術だと蔑まれたのは、当時の写真家たちのプライドだったわけだ。
今だってこれだけデジタルカメラやスマートフォン全盛期なのに、お硬い写真賞の上位作品はフィルムばっかりだ。
カメラがモノとして大衆化し、さらに必要最低限のツールにまでなった今、このカラー・モノクロ論争が不毛な争いに感じてしまう。
それくらい写真は人間と同化しているのだ。
その自覚、これがあるかないかだけでも写真に対する感覚が極端に変わってくる。
「人間とカメラの同化」を、陳腐化と見るか、飛躍と見るかは置いておいて。
この時代のあえてのモノクロとは、そんな経緯がある。
モノクロで撮るということは、「あえて」でしかありえない。
Leicaはそこら辺をよ~くわかっていて、モノクロしか撮れないカメラを出している。
モノクロしか撮れないデジタルカメラが100万円とかする。
でも、Leicaはよ~~~~~くわかっている。
だからこそLeicaなのだ。
※NIKONがFとかF2とかF3の外観そのままで、モノクロ専用機出せば馬鹿売れするのに・・・
「あえて」をあえてする人だからこそ、あえてモノクロ専用機を買うだろうというマーケティングこそ、現代写真が何たるかをLeicaがご存知なのが明白な証拠だ。
モノクロで撮るということは「あえて」の世界を撮るという行為なのだ。
この「あえて」とはまさに記録という写真の前提へのアンチテーゼなわけだ。
「あえて」の世界とは、記録するだけの世界=情報化社会の歪であり、バナナの黒いところだ。
情報化社会に寄与し、大きく依存しているのが写真であり、だからこそモノクロは情報の主流ではない暗部を浮かびあがらせる。
もちろんモノクロ写真も情報であることには変わりがないが、撮影者の意識の問題である。
なぜならこのご時世、情報から逃れる術はない。なんせ人間が情報化されているのだから。
情報化する際の価値である情報量をあえて吐き捨てることで、モノクロ写真は単なる記録ではなくなる。
ここにこそ、モノクロ写真の存在意義がある。
情報化社会への反抗こそが色を捨てるという行為であり、情報らしくない情報を拵えることで、情報化社会へ流されている自らを啓蒙しているのだ。
森山大道や中平卓馬のプロヴォークが持つアナーキーさが万国共通で評価されたとおり、情報化社会への反抗という一分野は確かに存在する。
中平卓馬がモノクロ写真のアレブレボケを辞めたのは、そのカテゴライズが気に食わなかったんじゃないかなと思う。
要するに、モノクロ写真は楽しいのだ。
モノクロで世界を見ると、「あえて」の世界へと没入できる。
カラーな世界にはないバナナの黒いところを探し、せっせと街を徘徊する。
行きたかったなあ~
カラー編はこちらだよ。