チチカカ湖に咲くインディヘナ文化 プーノの祭り「カンデラリア」
2月8日
8時半発プーノ行きバスは60ソルもしたので、かなり大きな2階建てバスであった。
あの広いチチカカ湖望む美しい街。そこで行われるチチカカ湖周辺最大の祭りを見に行けるものだから胸も高鳴る。
チチカカ湖周辺はインディヘナの人口割合が高く、古のインカの息吹を感じ取れる民俗学的好奇心をくすぐられる。
宮本常一のようにカメラ片手に駆けずり回る自分を想像しながら、高度4000m近い峠道を眺める。
相変わらずの青い空と緑の草原、リャマと牛と豚、レンガ造りの家々。
すでに見慣れた風景も、その美しさは不変である。
ペルーは過酷な環境でも生き続ける人々の逞しさを感じる旅でもあった。
このような環境にも関わらず、この地こそアメリカ大陸最大の帝国が築かれていたのだ。
インカの人々は、高度によって育てる作物を変え、峻険な地形に道を作り、石を巧みに加工して地震にも負けない住居を作った。この環境に立ち向かい、自然に順応するためにはどれほどの時が必要だったのだろう。
何から何まで「インカ」と集約されるが、インカ帝国はそれまでの南米にあった文化をすべて吸収し一大帝国になったのだった。だからインカ帝国とは南米文化の最高傑作であったのだ。
そんなインカ帝国の生まれたチチカカ湖にバスはゆっくり近づいていく。
7時間も走るとやっと青い海が見えた。
それは海だった。深い青色の巨大な湖は海のように雄大である。
ましてやここが富士山の頂上より高いなどということはなかなか実感がわかない。
プーノの町はチチカカ湖から這い出たようであった。湖から少しずつ這い出し、丘の上までびっしりと家を敷き詰めている。
バスターミナルはチチカカ湖のすぐそばであった。
2日後のラパス行きのバスを予約し、タクシーで予約していた宿へ。
町ではすでにお祭りの準備で大忙し。そこら中で鼓笛隊が演奏練習をし、簡易ステージが作られていた。
インフォメーションで聞いたところ、今晩から祭りが始まるという。嬉しい誤算だ。
インカ帝国が生まれたこの地で、インディヘナの祭りが見られるのだ。
悠久の伝承、インカの残り香、そんなすべてを肌で感じよう。
チチカカ湖に抱かれた町は今か今かと祭りを待ち受けているような気運があった。
しかし、インカの神はそうは甘くない。
というか、こんな旅気分満喫中に限って災難が降りかかる。
ナレーションでも聞こえてきそうなくらいのいい旅夢気分な時にかぎって、現実というリアルともいう化け物は容赦なく僕ののぼせた顔にインカコーラをぶっかける。
ELINTI BACKPACKER 満室
おい、こらふざけんじゃねえぞ!なにがインカの神じゃ!海のようなチチカカ湖じゃ!どないなっとるんじゃ!!
さっきまでの旅人気分は一瞬で、恥ずかしく唾棄すべき過去の産物からでた排泄物となった。
受付の姉ちゃんは「満室!!」を繰り返す。
もちろん予約確認メールも角さんが印籠をドヤ顔で押し付けるばりに見せた。
しかし「満室。わたしは知らない。英語わかんない。」の一点張り。
こだわり亭主の店じゃないのだから、そこまで一点張りにしなくてもよいではないか。
「今日はお祭りなのよ。」
ちょっと太めの姉ちゃんは、72時間は働いていそうな疲れた顔で言った。
17時30分。我々はお祭り気運に湧くプーノの町に、どでかいバックパックを背負ったまま放り出された。結婚詐欺にあった埼玉県在住36歳OLの気持ちも今ならわかる。
急いで片っ端からホテルに顔を突っ込むも「Full」「Full」「Full」・・・
身体がフルフルしてきた。寒さだけではない。恐怖だ。異国の町のど真ん中で、何の頼りも無くなってしまった。
プーノは首絞め強盗の大流行地だが、今の僕らは首を絞められても気づくまい。
何組かの白人バックパッカーもウロウロしている。
「これが祭りじゃ。愚か者。」
僕たちはいるかしらないけど神に見放された。
と、思ったら怪しい爺が近づいてきた。
見事に歯がない。離乳食くらいしか食えないのではないか?
怪しい爺さんは絶望の淵で百人一首でもやっているかのような僕らのヤバイ顔を見てピンときたに違いない。
「兄さん、あっしホテル知ってまっせ。」
爺さんの怪しい英語が、脳内変換で勝手に関西弁になるほど僕は疲労困憊していた。
爺さんの自転車に乗って、どこか知らないホテルまで連れて行かれる。
宛もなく場所すら知らないどこかに連れて行かれているのは、地球の歩き方にも載っている「危険な行為」なのだが、爺さん自転車だしバックパックぶつけるだけで勝てそうなのでこの爺さんに全てを賭けた。
爺さんは町外れのホテルに連れて行った。
1泊一人100ソル。
「爺さんよ、俺達がそんなに金持ちに見えたかい?」
「ここは最高でっせ兄さん!なんせデラックスルームでさ!」
「僕はね爺さん、そんな身分じゃあないんだよ。」
爺さんはしきりに薦める。そんな大金払うぐらいなら爺さんの入れ歯でも買ってやる。僕は心の底からそう思った。
爺さんには悪いがバスターミナルまで送ってもらった。
10ソルも払った。爺さん、これで美味しい離乳食を食ってくれ。
バス会社に行くも、ラパス行き夜行バスはない。
「あのう、ここのバスターミナルって寝れます?」
僕は思ってもないことを聞いた。最悪の事態を常に頭の先頭に持ってくる嫌な癖だ。
「泊まれるわよ。寒いけどね。」
横にいたツアー勧誘のおばさんは言った。あともう少しでおばさんの家に泊めてもらえるか聞くところだった。
とりあえず、明朝のバスを予約した。
インフォメーションで開いている宿を聞くか、ツアー会社にあたってみるか、はてまたここで雨露をしのぐか。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。※まさにエロ本である。
でっぷりしたおじさんが話しかけてきた。きれいな七三分け、白いカッターシャツは少しくすんでいる。
「どうした日本人。宿がないってか?」
「ご明察。」
「今日からビックフェスティバルだからね。」
おじさんは嬉しそうに脇をワキワキした。
僕は事情を話した。多分、心の何処かであのホテルの評判を少しでも下げてやろうという邪悪な慮りがあった。なぜか現地の人に。
そんな悪魔に身を大売り出し中の僕を、おじさんは天使のような笑顔で救ってくれた。
「・・・あそこなら開いているかもしれない。」
もう希望的観測的期待は身体に毒なので、端から一切期待していないように聞いた。
「どうせお高いんでしょ。」
「1ルームで100ソルだよ。」
高いのは高いがどうにかなる値段だ。一人2000円。カサデルインカの2日分。3日はいるはずだったプーノを1日で退散するのだから、行くしかない。
「おじさん、乗った!」
おじさんに電話してもらう。開いているのか、本当に100ソルか。
ちょうどその時、横で話を聞いていた白人の旅行者が電話中のおじさんに自分たちの部屋も頼んだ。
「残念、この兄さん達が最後の1部屋だ。」
電話を切ると同時におじさんは言った。デ・ニーロみたいに言った。アンタッチャブルのときのカポネみたいなおじさんは、たしかにデ・ニーロみたいに言ったのだ。
おじさんに連れられてタクシーでホテルへ向かう。今日はこれで何回目のタクシーだろうか。
Kusillos Posadaというホテルは淡い黄色で塗られた綺麗なホテルだった。中に入ると広くてとても清潔だった。
奥からママさんが出てきた。日本人みたいな物腰の柔らかいペルー人らしくない奥様だった。事情を話すと真摯に聞いてくれた。
「そういう悪い人もいるからねえ。」
部屋はかなり広かった。こんなでっかいベットは見たことがないくらいの大きさだ。こんな清潔な部屋とトイレットペーパーがそのまま流せるトイレは初めてだった。
「そりゃ100ソルするわな。」
嫁さんと疲れきった顔を見合わせた。
ママさん、かなり出来る人だった。
町の地図にいろいろな情報を書き込んでくれた。
マス料理がうまいと聞いていたものだから、美味しいお店を聞いた。その他に美味しいベーカリー店や危険な場所や防犯対策などなどたくさん教えてくれた。
あとでこの情報の恐ろしさを知る。
バックパックを下ろすと身体は軽快だった。
祭りの音がすぐそこで聞こえたからだ。カンデラリア祭りがついに始まった。
スリや強盗が多くなるのでホテルにカメラ以外の貴重品を置き、カテドラルの方へ向かう。
祭りはもう始まっていた。
途中の道で沢山の人が同じ衣装を着て踊っていた。その後に楽団が続く。衝撃が伝わるくらいの大音量の中を皆で踊っている。これがアンデスの祭り。
広場に着くと人でごった返していた。
その周りをたくさんのチームが踊っている。
踊り子、太鼓、トランペット、トロンボーンの順番で踊りながら行進する。みな同じ音楽だが、踊りや衣装は全然違った。カラフルな衣装や民族衣装、悪魔の様な奇抜な被り物、セクシーなお姉さん、スーツ姿のおじさん達、そしてなぜか後ろに一人はいる酔っぱらい。
ライトで照らされたカテドラル、その広場は割れんばかりの音が鳴り響き、人々が踊り狂う。
アーティクーチョを頬張りながら、多種多様なチームの踊りを見に行く。どれも個性的でエネルギーに満ち溢れている。誰もが心から祭りを楽しんでいるのだ。
延々と続く音楽と踊りの熱狂は異邦人である我々をも取り込んだ。
フォルクローレと呼ばれる伝統音楽の祭りであるカンデラリア。
チチカカ湖周辺に住むケチュア族やアイマラ族がペルーだけでなくボリビアからも集まり、その数は何万人にも膨れ上がる。
スペインから持ち込まれたキリスト教の祭事ではあるらしいが、スペイン侵略前の伝統的な音楽や踊りも披露される。
祭りとは豊穣の祈りや神への感謝だけでなく、伝統的な風習を受け継がせる舞台でもあるわけだ。
きっとこの先何があろうとこの音楽や踊り、そしてインディヘナの文化は失われないだろう。そんな力強さを感じるのだ。
調子に乗った僕たちは悪魔の衣装のお兄さんやセクシーなお姉様と写真を撮ったり、逆に東洋人が珍しいのか一緒に並んで撮られたり。
熱中するあまり空腹でめまいがしてきた。
ママさんに教えてもらったレストラン「Mojsa」へ向かう。カテドラルの向かい側にある。
少々お高いのだが、ペルー最後の夜にふさわしい豪華な食卓となった。
僕はトルーチャ。マス料理目当てだ。セットメニューは高いので、マスの串焼き(アーティクーチョ・デ・トルーチャ)を頼んだ。
嫁さんはピザ。なんと店内に釜があって目の前で焼いてくれる。
久しぶりの上質な食事である。マスの脂はジューシーで臭みはなく、うまいとしか言うことがない。最後まで肉厚のマスに舌をもっていかれる始末。
広場で鳴り響く祭りの音と豪華な食事でペルー最後の夜は最高の思い出になった。
ちょっと小銭が余ったのでこちらもママさんおすすめのベーカリー店へ。
先程のレストランの真裏。ケーキやパンが売っている。
ここでデザートを買う。久しく甘いものを食べていなかった。
二人共甘党なのでケーキとインカコーラを買って帰る。インカコーラもひっくり返るくらい甘い。
ケーキ片手に歩く沿道ではまだまだ踊りは終わっていなかった。
いつもは静かで恥ずかしがり屋なインディヘナの人々がひたすら踊り狂う様は驚きと華麗さがあった。
明日にはスタジアムで、そして明後日は町で大パレードがあるという。
いろいろあったが、ペルーを締めくくる僕達にとっても最高の1日となった。
そうそう、そのペルーですけども、大幅な赤字となってしまった!!
もちろんマチュピチュが戦犯ではあるが、物価は安いのに気づけばお金が・・・
平均で1日3000円、1年で約100万円、移動費で50万円という大雑把プランが早くも赤信号。こりゃ早めにアジアに逃げるかな?
さらばペルー!