ガウディは何を思う?
僕はどちらかというと人工物より自然によって作られた景色が好きだ。
そんな僕が世界を巡りそこにいる民族が独自の文化と宗教を織り混ぜながら創りだした建築群を見てきた。
そこにはその地を生きた人々の歴史が、その地の資源を使って、反自然的に建てられた大いなる遺産があった。
しかし、人工物である建築物は、初めの感嘆と細密な構造を顎に手をついて一通り眺め終えた途端、何もかも済んでしまったような感覚があった。
同じ文化圏、例えばイスラム教文化圏を歩けば同じようなモスクが立ち並ぶ。
人類史上最も建築の造詣が深かったイスラムの国々だが、しかしその細密荘厳なモスクも僕の中では自然の織りなす偶然の産物でしか無い岩塊や峡谷には勝てなかった。
が、しかし唯一人間が生み出した建築物であるはずのサグラダファミリアだけは違った。
いや、ガウディの華麗なる作品は違った。
そこには異端な構図による造形の破壊と人々をあざ笑う冷酷な数学的裏切りがあった。
ガウディの作ったものは柱一本、ドアノブ一つに至るまで、そこにあるすべてが人間の思考回路の行き着いた先にあるものだと言わんばかりに叩きつけられる。
そしてとにかく天才というカテゴリに追いやって蓋をしてしまわなければならないような疎外感があった。
なんせそれだけの高次元なガウディ方程式の答えこそ、何でもない自然のそれだったからだ。
サグラダファミリアは人間の中にある美や驚嘆の尺度が、結局のところ自然の一部を正確無比に切り取ったパーツでしかないというのを教えてくれた。
風雨と時間によって削り取られた山容や飛沫を上げてうねる波の跡、太陽に向ってそそり立つ木々に昆虫の硬く滑らかな曲線、そんな一瞬間の残像こそ本質的な部分の価値観なのか?
なんてことをサグラダファミリアの天井をほげ~と眺めながら思った。
圧倒的な叡智の生んだその天井を仰ぎ見る人々といったら、皆一様に赤子のようにポカンと口を開けている。
これこそガウディの見たかった景色ではないだろうか?
Casa BRUTUS特別編集 ガウディと井上雄彦 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)
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