チリは出会いの国
2月19日
朝7時に宿を出る。
バスは前日予約しておいた。
アタカマの町のセントロから北西の方へ結構歩いたバス会社で至極難儀した。
ここチリでも英語はほとんど通じない。
サンティアゴまで24時間。
「チリは長いぜ!」
お値段35000ペソ(7000円くらい)
「チリは高いぜ!」
あまりの値段に一瞬で即身仏になりかけた。
アタカマのバスターミナルからとなり町のカラマまで行く。
カラマで乗り換え、サンティアゴに行くのだ。
カラマまでは2時間くらい。車窓はもちろん砂漠である。
ボリビアと違うのは、その砂漠にも町があったり巨大な風力発電が並んでいる。
カラマに着くと、町にはイオンモールみたいな巨大施設があり、見慣れたメーカーの車が目立つ。この旅始まって初めてスバル車を見た。
やはりチリは都会だ。そういえば道もなだらかだった。物価も高くなるはずである。
11時50分、バスは少し遅れて出発した。
道は果てしなく荒野である。
ひょろ長いチリだが砂漠からパタゴニアまであるので、日本の地域差の比ではない。
夕方、なんと海に出た。
太平洋だ。ビーチには沢山の人がいる。チリは夏真っ盛りなのだ。
しかし不思議な光景である。
目の前に広がるは太平洋、山側を見れば砂漠のような禿山がある。
山が海にせり出し、平野は殆ど無い。そんなところに高速道路が走っている。
ちょうど静岡の清水周辺を走っているような感覚だ。
やはり島国日本人。海を見ると感慨深い。
久しぶりの海は生臭かった。エヴァンゲリオンで「生き物の死んだニオイだ。」とかいうセリフがあるが、ずっと海から離れているとそんな風に感じるのだろうか。
海沿いの道は学生時代を思い出す。
金のなかった僕らはしかし旅好きで、友人の父親からのお下がりカローラで車泊しながら色んな所をまわった。もちろん高速道路にも乗れないのでずっと下道を行った。
あの時が一番楽しかった。観光地にもよらず食事は毎日マクドナルドかコンビニ弁当だったが、その瞬間も鮮明に記憶に焼き付いている。
就職するとそんな旅はできなかった。みんな忙しく、会えるのは3ヶ月に一回。学生時分には、休みを合わせるということがここまで難しいとは全く思っても見なかった。
「就職したら金が入るから、色んなところに行こう!」なんて言っていたが、たしかに金は入ったが時間がなかった。学生時代の「金はないが時間は腐るほどある」という状況がひっくり返っただけだった。
社会人になってからのあの退屈な日々は、どうやらそんな旅ができなくなった鬱憤が溜まっていたからのように思える。
旅と友人は一生ものなのだ。だから今僕はチリの海沿いの道を走っているのだろう。
2月20日
サンティアゴについた。
バスから降りるとそこは大都会。
神かくしにでもあっていたかのように、二人でその場に立ち尽くす。
ペルー、ボリビアから来ると、気分は浦島太郎だ。
日本のように周りを海に囲まれた国では、国の違いというのを感じにくい。
どこに行くにも飛行機で飛んで行くからだ。
空を飛べば、自ずと異国の地へ向かうという感覚が強い。
しかし南米バスの旅。地続きの国境をひょいとただ越えただけでここまで変わるものだろうか。
インフラは言うまでもないが、細かいところから大いに違う。
地下鉄やそこら中にあるATM、着ている服や売っている品、町の綺麗さにたくさんのアイス屋さん。
そうアイス屋さんだ。僕は国の発展具合のチェックにアイス屋さんがあるかどうかを評価基準の第一項目にあげている。
なぜならアイスとはインフラがしっかりしていないと売れないからだ。
停電があればすぐダメになり、輸送も扱いも非常にナイーブ。そんなアイスがそこら辺で売っているサンティアゴは都会だといえる。
メトロに乗り、町中へ。
ブラジル公園近くに安宿が多く、目星をつけていったのだがその目星が見つからない。
辺りを彷徨っていると、ユースホテルを発見した。
ホテル・シェンフェゴス。
交渉の末、ドミトリー4人部屋を2人で使って9500ペソ。
立地も良いし、朝飯もつき、受付でビールまで買えちゃうのはありがたい。
シェンフェゴス通りとモネダ通りの交差するところにある。
早速、サンティアゴの町へ。
まずはモネダ宮殿だ。かのアジェンデ最後の地であり、ピノチェトの軍事政権の象徴、つまり近代チリ史における最重要地点だ。
アジェンデの像があった。今にも動き出しそうなアジェンデ像は彼の無念を現しているのかもしれない。
それにしても大都会。
落書きだらけだが(中にはアートと言っても良いレベルのものが多々ある)洗練された街並みだ。
しかし、アタカマ砂漠ツアーで一緒だったチリ人カップルが言うとおり、あまり見るものはない。南米らしく立派なカテドラルはあるものの、あとは特に無い。
でも久しぶりの大都会。町を散策するだけでもかなり楽しい。
北上して市場へ。やはり町で一番楽しいのは市場だ。
チリは物価が高いが、食料品はそこまで高くはない。
巨大なメロンが100円、ハマグリが500gで150円、鳥肉が500gで250円、ワインが1Lで250円。やはり買物は楽しい。
晩メシは久しぶりすぎるおにぎりだ。
嫁さんが世界一周も終わりかけの奥様に教えてもらい、ここ南米でも美味しく米が炊けるようになったのだ。やはり日本の米のようにもっちりとはいかないものも、隠し味のウユニ塩もあって非常に美味しかった。
肉も生臭さはなく、日本で作ったような家庭料理がいただけた。
この日はウユニであった友人と飲み会をした。
お酒も安いので一人500円も出せば、ビールとつまみがわんさか飲み食いできる。
旅で出会った人たちとの交流は楽しい、そして勉強になる。
遠い異国の地で同じ日本人同士。やはり心細さもあるのか、普段は人見知りな僕でもすぐに打ち解けることができる。なんせ南米にいる日本人なんて学生以外はほぼ無職なのだから。
日本人特有の世界一周事情だが同じ境遇にある分、皆どことなく似通った人たちばかり。人生経験も豊富で、今まで会ったことのないような人たちとも仲良くなれる。
仕事をやめてまで世界へ旅立った我々は遠い異国の地の異国の酒を煽り続けるのだ。
2月21日
出会いというものは運命なのかもしれない。
ロマンチックな響き。だいぶラテン系になってきたかも?
出会いというのは先日のアタカマ砂漠ツアー。
仲良くなったチリ人カップルの彼とゲバラの話で盛り上がった。
「サンティアゴに来るんだろ?だったら僕の珠玉のゲバラグッズをあげるよ。」
そう言ってくれた彼。サンティアゴについてすぐ連絡した。
便利なもので今の世の中、WIFIがあればなんでもできる。
言葉もグーグル先生に頼めば、一発で翻訳してくれる。
僕はスペイン語で彼にコンタクトを取り、彼からのメールもすぐさま日本語に変換される。
ドラえもんでみた世界は確実に近づいてきている。ちなみに僕はもしもボックスが欲しい。
待ち合わせは夕方。
それまではゆっくり過ごした。
なんせこのホテルシェンフェゴスはゆったりできる。
スーパーで買物をしたり、町をほっつき歩いたり。治安も良さそうなので、変な緊張感もない。ボリビアはラパスで歩いていた僕らは、まるで現金輸送車なみの緊張感であった。
夕方、地下鉄駅で待ち合わせ、シモンがやってきた。
シモンのお宝「ゲバラノート」をもらう。
スペイン語でゲバラの略歴や詩が書かれている。
「これでスペイン語を勉強するよ!」
お互いゲリラ兵のようなヒゲを伸ばしたゲバラファン。カミーロ・シエンフエゴスの写真に興奮しながら再開を祝う。
近くの公園へ。シモンの彼女を待つ。
踊りの練習や酔っぱらいが楽しそうに過ごす夕方の公園。
サマータイム制を導入しているため、サンティアゴは9時ぐらいまで明るい。
これは非常に良いことのように思う。
いつまでの明るい空はなにか得した気分になるからだ。
彼との会話は無論英語だ。
彼の癖のあるアクセントの英語と僕達のたどたどしい英語での会話では、お互い言いたいことを手探りで、時には推理しながら話す。
話しながらメモ帳まで使うのだが、彼も親身になって聞いてくれるのだった。
チリ人はとても親切だ。
スペイン語がわからないとなると、一瞬困ったような顔をするが何とかコミュニケーションをとろうと試行錯誤してくれる。真面目な人が多い。
彼女と合流してからレストランへ。
「何が食べたい?」
「やっぱりチリといえばシーフード」
この前から日本人がいかにシーフード好きかというのを慣れない英語で熱く語っておいたから、2人は大いに笑った。
「本当に好きなんだね」
日本を出てからというもの、ペルーのプーノでマスは食べたが、新鮮な魚介料理とはだいぶ遠ざかっていた。
やはり魚を生で食べる様な民族だ。魚の鮮度や味にはうるさい。しかし、メキシコシティやペルー・ボリビアのような高所にずっといたのだからそのお眼鏡にかなうようなものはなかった。(し、怖かったので躊躇していた。)
彼らは美味しいセビーチャとビールが飲めるレストランに連れて行ってくれた。
セビーチャとはペルー料理だ。生魚をさっと湯通ししたものに、大量のレモンをかけたサラダ。「こっちの人は魚なら何でもレモンかけちゃうでしょ?」とぼやいていた同じ宿の日本人のおじさんが言うように、レモンを一個絞ったあとさらにレモン汁が出る。
しかし意外にうまい。新鮮だ。半生の魚の味は格別だった。
「SUSHIは日本人はよく食べるの?」と彼女。
「チリと同じで寿司は結構高いから余り行かないけど、大好きだよ」
「じゃあ、あのグリーンのも好き?」
「グリーン?」
「あの・・・」といって彼女は鼻を抑えて汗をかくリアクションをした。
「・・・わさび!」
「そう!あれは何なの?」
わさびの説明はなかなか面倒だ。
わさびってなんて言えばよいのか最後までわからなかった。
続いてビールが来た。
アウストラルというビールだ。チリのビールは昨日日本人の友人と飲んだ。結構美味しかったので彼に言ってみた。
「クリスタルっていうチリのビールは昨日飲んだよ。美味しかったなあ。」
「クリスタル!あんなの飲んじゃダメだよ!」
彼曰くクリスタルは不味いビールの代名詞だとか。
「ビールは高いけどアウストラルかクズマンだよ。」
たしかにアウストラルはうまかった。
そのあともアウストラルのおかげで話は弾んだ。全員が英語で何とかコミュニケーションをとろうと必死なので、がやがやとうるさい店内において僕らだけまるで良からぬ謀議でもしているかのように顔を近づけて話している。
そんな会話でも彼らは何とか理解しようとしてくれた。やはりコミュニケーションは気持ちの問題のようだ。
楽しい時間はすぐに過ぎ、僕達は別れた。
なぜか号泣する嫁さんに彼女の方ももらい泣きだ。
「日本に来た時は案内するよ!」
と言った時、彼らはすごく喜んでくれた。
「日本・・・行けたら良いなあ。」
そう語る彼らは、ほぼ地球の裏側の日本まで行くのはなかなか難しいはずだ。
日本は周りを海に囲まれているのに、世界一航空券が高いのだ。日本で働いている僕らですら、南米まで行こうとするとかなりの出費だった。
日本の話しをすると思い出したように彼女が「バンブーがたくさんある道があるでしょ?」と言った。
彼女は嵐山のことを言っているのだと思う。
「行ってみたいなあ・・・」
二人を連れて京都の町を案内できたらと僕らも心の底から思った。やはり地球は広い。広いのだ。
遠い異国の言葉も通じない友人ができた。また会えたら、その時までには日本の美味しいビールの紹介くらいはスペイン語でできるようになっとかないと。