国東半島の写真旅
久しぶりの旅行記事です。
コロナのせいでほとんど旅ができませんでした。
もう忘れられていると思いますが、一応このブログは旅ブログなので(笑)
ロードトリップの写真旅、ロバート・フランクやスティーブン・ショア、そしてアレック・ソスのようなアメリカの写真家を気取る旅。
ひっさしぶりにこのブログで書いていたような癖のある文体で旅行記を書いてみたところ、ぷちバズりしたので旅行記ブログ風文体もまだまだ需要はあるようです。
ま、noteで書いたんですけどね。
最近は、撮影風景+写真集っぽい動画作成に勤しんでいます。
非常に面倒ですが、なんだか楽しいですね。
動画は写真と文章では語り得ない雰囲気が表現できますし、あとメディアとして文章とSNSの中間にある感じがしています。
文章はどうしても恣意的ですし、SNSは生鮮消費材として扱われてしまいます。
作る側も消費する側も、お互い妥協しあって詰まるところの時間の有限性を託し合っている・・・それが動画であり、You Tubeがこれだけ流行している理由なのだと思います。
言うなれば、スマホの登場で秒単位の時間の奪い合い=経済の侵入をそこまで許してしまっている現代人=時間の付加価値の上昇という皮肉な構図、それがブログの衰退とSNSの隆盛、その先のテレビからのYou Tubeなのだと思います。
そんな「何でもかんでもマネタイズ」時代において、僕が書いてきたような旅ブログはその走りでもあったし、今や懐かしきマネタイズ以前のインターネットのアナーキーさの余韻でもあったような気がします。
個人ブログ、You Tube動画、SNS、メディアの変遷は結局のところマネーゲームです。
そうじゃなければパイは大きくなりません。パイの大きさは時間泥棒のシェア競争の結果を意味します。
そう考えると、こういった非生産的生産活動により日々の経済合理性に奪われた人間性の奪還に勤しむ僕のような古いインターネット住人は、新しいメディアで古い手法を散発的に自由気ままに生み出し、それによりインターネットの広大な空間の端っこを持ち上げるくらいが一番楽しかったりするわけです。
結局の所、生産側も消費側も表裏一体、暇つぶしなんですね。
芸術ってのも、時の権力者から時間を与えられたからこそできたわけで。
そして人間の人間たる所以は、暇つぶしで如何に世界と遊ぶかなんだと思うわけです。
遊びから生まれたものは、社会や集団の内側を彩り、外側をちらっと見せるわけです。
そういったものをこれからも作っていきたいと思うわけです。