アンナプルナBCトレッキング 2日、3日目 雨と霧とアップダウン
9月25日
Jinudanda(1780m)の朝は雨。けっこうな雨だ。
9時位まで待ってみたけど一向に止む気配はない。
仕方なく歩き出す。今日はアンナプルナの最大の楽しみどころが待ち受けているというのに。
ここからChomrong、そしてSinuwaまでが一番の苦しみどころだからだ。
アンナプルナまではやたらと橋を渡る。
その橋というのが川のすぐそばまで行かなければ渡ることができないくらい低いのだ。
深い切り立った峡谷を作り出した川は、その谷底に位置する。
なのでJinudanda前の谷底からChomrongまで600mほど駆け上がり、そこから400m下って、またSinuwaまで500mほど登る。もはや軽い600m級の登山なのだ。もちろん峡谷であるため、かなりの急勾配。しかもガッタガタの石段を登り降りするので、足への負担がすさまじい。
必死になって登り終えると今度は一気に下る。また帰りに登ることになることを大いに自覚しながらひたすら下る。この下りの無念さ、儚さは一度登山をしたことがある人間ならおわかりだろう。
このアップダウンがBambooを過ぎるまで続くのだ。
僕はこれを『ドM3連山』と名づけた。500m級の山が3つ連なっていると思っていただけたらイメージしやすい。ぐぐっと登っては急降下、それを繰り返しながら少しずつ標高を上げていく。今日はそんなコースだった。
ひたすら登る。
過激な急勾配。荷物が少ないとはいえ、かなりの辛さである。
しかも雨。道は石段なのですべって仕方がない。
かなり登ってきたが先はまだまだ遠い。変わらない棚田は眼前でどっしりと構えていた。
途中で休憩。
世界一周で鍛えた体もインドの1ヶ月で激痩せしてしまった。やはりベジタリアン生活はよくない。しかし、この山中も悲しいかなベジタリアン生活。肉料理はすこぶる高い。
そんな時は秘密兵器『玄米茶』
チェコで出会った日本人の女の子がもう帰国するからとくれた玄米茶だ。
霧がかった崖を登ってきた体に染みていくお茶・・・ああ、ばあちゃん家に行きてえ!
こんなおじいちゃんにまで抜かされてしまう。山の民は強い。
少し晴れ間が覗いた時、Chomrong(2170m)にたどり着く。1時間半登った。
ここは比較的大きい町だ。なぜこんな切り立った崖のてっぺんまで登らされたのだろうと愚痴を言いながらも、今度はここから激しい下りが始まるのだ。これぞ人生ではないか。
「帰りにこの道また登るのかぁ」という雑念が頭の中を支配する。
しかもこの急勾配を下るのは少しも楽ではない。登りで疲弊した足を別の角度から攻撃するからだ。おかげで足は満遍なく乳酸地獄と化す。そしてまた見上げるは巨大な山塊なのだ。
下り下って谷底まで。先ほどの苦労は何だったのだろうか?
またここから500mの登りが始まる。
Sinuwa(2360m)まで何とか登る。
行程が記録される腕時計の高度計を覗くと見事なV字を形成している。
しかし、そこでは一面に広がる棚田とChomrongの町が一望できた。
この棚田を作るのに、どれくらいの労力が必要だったのだろうか?
人々は僕らがへーこらいっているこの過酷な道のりを生活道路として使っている。逞しい人たちだ。
Sinuwaからまたグッと登っていくと、最後の民家がある。
掘っ立て小屋の周りには山羊と鶏が忙しそうに走り回っている。
ものすごく質素な暮らしぶりだ。
ここから先はゲストハウスしかない。
天気が良ければこの辺からマチャプチャレが覗けるらしいが、霧しかない。
一瞬展望が良い場所に出たが、ここからがふか~い森の始まり。
ジャングルのような濃縮大自然の中を行く。道はぬかるみ、川と化す。
もののけ姫のような世界をただただ黙々と歩いて行く。
「ヒマラヤのおいしい水」を汲む。
ネパールの生水は危険だが、ここは天下のヒマラヤだ。これ日本で売ったら500円くらい取れるんじゃないかと思いながら、無料の水を飲みまくる。
インドで仲良くなった日本人とポカラで再会したときに、「ヒマラヤの水はうまいっす」といっていたので飲んでみたがたしかに美味い。山中は水もえらく金を取るので節約にもなる。
※上流に人家やゲストハウスが無いことを確認の上で飲むこと。保証はしませんが美味しくて無料です。
15時半、Bamboo(2310m)到着。
2日とも6時間ちょいの行程でまずまずの距離を稼いだ。
ここからはヒマラヤの深部を目指すことになる。
9月26日
Bamboo(2310m)で目を覚ますと光が安物のカーテンから漏れていた。
「晴れとるがな!」
始めての青い空だ。雲は多いが、なにか希望が持てる。
少し歩くとついにマチャプチャレが顔を覗かせる。「魚の尾」と呼ばれる特徴的な割れた頂上部が煙を飛ばしていた。
やっとヒマラヤらしい景色が拝めた。
そしてこれが最後のヒマラヤらしい景色でないことを願った。
まだ雨季にあるアンナプルナでは、せっかく登ったのに何も見れなかったなんてことはよくある。昨日も下山してきた白人カップルが「シークレット、シークレット」と溜息をついていた。
ああ、マチャプチャレよ。明日は全貌を見せてくれ。
BambooからHimaraya hotel(2920m)までは小さなアップダウンを繰り返しながら、徐々に上がっていく。相変わらず道は歩きにくいが、天気も良いので快速に・・・と思ったらまた雲行きが怪しくなっていく。
Himaraya hotelに着く頃にはまた雨。
標高も3000m目前となってきて、急に寒くなりだした。高山病の気配は全くなかったが、寒さと疲労と悪天候でやる気が失せ始める。
こんなときはこれまたチェコで出会った日本人にもらった必殺『あさげ』
なぜ日本からこれを持ってこなかったか悔やみまくったインスタント味噌汁を、ネパールの3000mの山中で飲む。
味噌の濃厚な味わい、絶妙な塩加減、高山で食すわかめのアンニュイ感、たまらん!
「ああ、日本人でよかった~」
先はまだまだ遠い。
ここからは視界が開けてくる。
一気に開放された広い川沿いを歩いて行く。石ころまみれだが、巨大な峡谷の真ん中を歩くのは森の中よりだいぶマシだ。
標高は槍ヶ岳の頂上くらいになってきた。3000m超えても周りが山だらけというのがさすがヒマラヤである。そこら辺にある名も無き岩山ですら、日本に来たらNo.2の高山になれるのだ。
景色が開けてきたからといって道が楽になったかというとそうではない。
足場の悪い道を地道に登っていく。降りしきる雨、もうもうとした霧、そんな中をひたすら歩いて行く。
「俺は何をしているんだろう?遠い異国で誰に頼まれたわけでもなく、金まで払って何でまたこんな苦労を味わっているのだろうか?」
山で疲労がピークを過ぎるといつも頭にちらついてくる疑問。それでも気づけばまた登りに行く矛盾。すべては「人はなぜ山に登るのか?」という謎に尽きる。
霧の中にかすかに人工物っぽい物が見える。
歩き始めて6時間半。ついにマチャプチャレ・ベースキャンプ(MBS)に辿り着いた。
3700mのMBSは霧の海の中の孤島のようだった。
景色が良さそうな、もう少し上がったところのゲストハウスまで死力を振り絞って登る。
晩飯を食おうと食堂に向かう。
ん?なんか空が切り裂かれている。
マチャプチャレだ!!
霧を貫いて天まで届きそうな、夕日に照らされたマチャプチャレがそこにあった。
なんてイケメンな頂き!
マチャプチャレがその姿を現したのは、ほんの15分くらいだった。
聖山であるマチャプチャレは、未だ登頂はなされていない。頂上を踏まないという約束で、イギリス隊があと50mのところまで登ったことがあるだけだった。
6993mの頂きは、魚の尾のように割れているのが特徴なのだが、ベースキャンプから見上げると、槍ヶ岳のような鋭い山容であった。
山の神様は我らを見放していないようだ。
「明日、晴れますように!」
富士山の頂上と同じくらいのゲストハウスで、足を労りながら眠りについた。