なぜsigma dp2 merrillはカルトカメラなのか?レビューと作例
「普通」は飽きた。
もっと尖ったモノが欲しいんだ!
それならば、『SIGMA DP2Merrill』を手にすべし。
・・・と、カメラの神様が言ったとか言わないとか。
今回は、カルトカメラ『SIGMA DP2Merrill』を買ったので、悲喜こもごもを書いてみる。
- なぜsigma dp2 merrillなのか?
- Foveonセンサーこそ至高!・・・ではない理由
- すべてのデメリットを吹っ飛ばすFoveonセンサーの写真
- まとめ:sigma dp merrillはカルトなのか?
なぜsigma dp2 merrillなのか?
dp2 merrillを語るには、Foveonセンサーのことから話し始めなければならない。
このカメラがカルトカメラと呼ばれるのは、このFoveonセンサーの尖りまくった存在こそが一部(※極々一部)の熱狂的な信者を生んでいるのだから。
といっても、Foveonセンサーの説明は非常に難しい。
技術的なことはSIGMAの説明と誕生秘話を読んでいただくとして、簡単に言うと三層構造の垂直色分離方式を採用したセンサーがFoveonであり、それを世界で唯一一般製品化したのがSIGMAであり、その正統なカメラこそdp2 merrillなのである。
世界中の99.99999・・・%のカメラがベイヤーセンサーなので、ベイヤーセンサー内での技術闘争に明け暮れる昨今のカメラ業界において、唯一無比のカメラなのである。
ベイヤー式は、一層のセンサーで赤・緑・青の3つの原色を捉えている。
Foveonは、赤・緑・青の3つの原色をそれぞれ一層ずつのセンサーで捉えている。
簡単に言うと、ベイヤー式は本来の色情報をすべて記録できないため、補間するための処理が施されているのだ。
Foveonセンサーはありのままの情報を記録できるため、単純な画素数では表すことができない緻密な写真を生み出すことができる。
なのでライバルは中判フィルムなんて言われているのです。
Foveon、そしてSIGMAの“Meme” – | Voice | SEIN | SIGMA
SIGMAとFoveonの涙ぐましい歴史についてはこちら
Foveonセンサーこそ至高!・・・ではない理由
ならばFoveonセンサーが良いに決まっているのに、なぜSIGMA以外製品化しないのかと疑問に思うだろう。
それはすなわち、圧倒的な描写と引き換えに、死ぬほど扱いづらいのだ。
・ISO400辺りでもう使えないくらいザラザラ写真になってしまう。
・情報量が多い故に、処理に時間がかかり連写できないどころか、すぐに再生すらできない。
・情報量が多い故に、RAWデータは50MB。もちろん書き込みが遅い。
・驚異のバッテリー消費(100枚撮れれば御の字)
などなど、超絶緻密な写真のために払う代償が大きすぎるのだ。
このデメリットのために、ライトユーザーは即座に一掃される。
なんせ「普通に撮る」ことができず、ある程度の撮影技術と知識がなければ乗りこなせない荒馬。
バッテリーは毎回これくらい欲しいね!
ちなみにバッテリーは安いので安心あれ!
Foveonセンサーの吐き出す写真はフィルムに似ていると言われているが、扱い方もフィルムカメラに酷似している。
・低ISOフィルムを使っているときのように、暗ければ三脚は必須。もちろん手ブレ補正はないに等しい。
・バッテリーが持たないので、常に予備をポケットに詰めておく。
・極端な環境では諦める。
要するに、フィルムカメラの使い方なのである。
諦めが必要なのだ。しかし、ねんごろに甘やかされた現代の消費者にこれが我慢できるのか?
否である!
すべてのデメリットを吹っ飛ばすFoveonセンサーの写真
さあ、それではsigma dp2 merrillの写真を見ていきましょう!
※開封や撮影テスト、作例は動画でも見ることができます。
あらゆるデメリットが爆ぜ飛ぶこの写真を刮目して見よ!
キレッキレ!ガリガリのゴリゴリなのになめらかでしかも超絶緻密。
手前のベンチの影のグラデーション、中段の葦の線、最奥の木々の枝、すべてガッツリ写っている。
ちなみにこれ、jpeg撮って出しです。※ブログ用にリサイズしてます。
そしてこの色の存在感。至って自然な「自然」の色。
こういうウジャウジャしたぞわぞわ風景こそ、最もmerrillの得意とするところ。
菜の花の緻密さはもちろん、最奥の木々の細い枝までしっかり撮れてますな。
こちら、F8。
ちなみにこちらもJPEG撮って出し。というかこれから全部JPEG撮って出し。
Foveonの写真はRAW現像ありきなんて言われているが、わりといけるんじゃないでしょうか?
ちなみに人物ポートレートは、肌色が怪しいのでRAW現像は必要だと思います。
この立体感。Foveonセンサーを使ってみて思ったのだが、噂通り中判フィルムっぽいのだ。
立体感の視覚的な表現は、いわゆる開放ボケが利用される。
しかし、中判フィルムの写真は単純な情報量の多さで、相対的な立体感を感じると思う。科学的な計測方法からではなく、単なる主観なのだが。
よろしければ見比べてみてください。
そしてFoveonといえばモノクロ!
カラーフィルターがないため、モノクロ専用機と同じ構造を持つ。
某Leicaのあれと同じ、同じね!
モノクロにした時のおぞましい写りはご覧の通り。
夜桜をモノクロで長時間露光撮影した一枚。
闇に消えていきそうな桜の淡い光もなめらかに残している。
うわ~すげえ!と思いつつ、初春の夜の寒さの中での長時間露光撮影は、異常な速さでバッテリーを喰っていくのであった(笑)
こういうベイヤー式では苦手とする環境でも、とにかく強い。
カラーモード「VIVID」にて撮影。
わかりやすい三原色と白の対比が美しい一枚(笑)
この色合いは、ポジフィルムっぽい。
極めつけ、旧式のmerrillを敢えて購入したのはこれを撮るため。
SIGMAのFoveonセンサーカメラは、言わずもがな売れ筋カメラになるはずもなく、噂されていたフルサイズFoveonも開発が遅れている。
最新のFoveonセンサーカメラは今の所、quattroシリーズ(2014年)。
merrill(2012年)はその一世代前だ。
この新旧Foveonセンサーカメラは、センサーの構造が違っている。
Quattroセンサーのトップ層は1,960万画素、ミドルとボトム層はそれぞれ490万画素で、トップ層に比べると、ミドル層とボトム層は画素数が1/4となりますので、トータルの画素数は約2,940万画素です。
もし、Merrillセンサーの形式で同様の高画素化を図った場合、1,960万画素×3層となりますので、トータルの画素数は5,880万画素にもなってしまい、データ量はQuattroセンサーの約2倍近くにも膨れ上がってしまいます。
メーカー直撃インタビュー:伊達淳一の技術のフカボリ!:SIGMA dp2 Quattroの新Foveonセンサーはカメラの解像力の概念を変えるのか - デジカメ Watch Watch
merrillは尖りまくった超緻密描写のために、カメラ自体の扱いづらさが諸刃の剣であった。
quattroは、高画素化による発熱問題などを抑えつつ、Foveonセンサーらしい写真を手軽に撮れるように作られている。
以前友人にquattroを借りたことがあるが、(晴れた日なら)手軽にスナップ撮影できるくらい扱いやすかった。
merrillはかなり好条件でないと手軽な撮影は難しく(動体なんて以ての外)、絞りたければ晴れていても三脚を持ち出すレベルだ。
しかし、その分merrillは尖っている。
先程のモノクロの写真の散りかけた桜の大木。PC上で拡大してみても、細かなところまですべからく『写っている』のだ。
もちろん、こんな緻密な解像度は一般的な写真には不要だ。
だが、この緻密さでしか表現できないものがある・・・と思う稀有な人々のためのカメラなのである。
需要と供給?クソくらえ!
※追記記事:渓谷でFoveon!
まとめ:sigma dp merrillはカルトなのか?
SIGMA fpの購入記事でも書いたが、こういう尖った非大衆向けのカメラ、というかモノが好きなのだから仕方がない。
写真はスマホがあれば十分だ。ではなぜカメラを買うのか?
それは撮影行為を愛しているからだ。撮影という行為自体に価値があると思えるからこそ、安くはないカメラやレンズをせっせと買ってはああでもないこうでもないと言っている。
スマホであればポケットサイズで、ボタン一つで簡単に有用な写真が撮れる。
カメラはいくつもの行程を経て、経験と知識をもとに景色を切り取る。
感覚的には狩猟に近い。現代の狩猟は、情報を狩るのである。
これほど撮影が簡易になった時代において、敢えてこのようなコストを厭わずにカメラを持つとはそういうことである。
スマホの台頭でカメラの資本主義的な価値は凋落したが、カメラを手にするものはアンチ資本主義的な確信犯的消費行動として撮影を行っている。
特に僕のような経済の歯車としての労働に嫌気が差しながらもそうせざるを得ないくらい面倒臭がりな輩は、己の存在を意識できる僅かな時間を求めてカメラを手にしている。
この趣味と資本主義経済については以前書いた。
もはや現代の社会システムは、一個人ではどうすることもできないくらい広大かつ複雑なのだ。
そんな中で、表現=芸術という生産活動が、脱社会的な越権行為となっている。
もちろん、高尚な芸術を行っているという意味ではなく、消費に駆られるだけの社会からの逃避としての・・・である。
ただ流されるように歯車となるのか?そんな生活はゴメンだ!と言いながら、抜け目のない広告に絡め取られてカメラを買うのはまさにミイラ取りがミイラになるというやつではあるが、そこにわずかな自由があるというわけだ。
こういう非生産的生産活動というのはコストとして弾き飛ばされ、やがて人間は何も考えることがないくらいオートメーション化された消費生活に並ばされているわけなので、これは反社会的な行為としての消費なのだ。
そういった反社会的な行為をしているという、中学生が隠れてタバコを吸うような感覚が撮影行為なのであり、そこにより過激さを与えるスパイスがsigma dp2 merrillなのだ。
不良が奇抜な格好をするのと同じように、『s○nyのα1だと?そんなもんカメラが撮ってるだけじゃねえか!夜露死苦!』とmerrillでパシャっと一枚、手が震えていたせいかブレブレの写真が荒い液晶画面に映る、そうこうするうちにもうバッテリーがない。
「へへへ、今日はこのくらいにしてやるぜ」
Photoshop上等!ベイヤーセンサーは軟派!iPh○neなんてシャバいぜ!
捨て台詞と共にmerrillを肩にぶら下げ去りゆくその先には、「sd1 merrill」が手招きしてこう呼んでいる。
『こっちのFoveonはすげえぞ~』
は!話が脱線どころか夢を見ていた。
sigma dp2 merrillの話でしたね。
要するに尖ったゴリゴリの凶暴なカメラ。
打率は低いが、当たったらものすごくでかいホームラン。
山田でも殿馬でもなく岩鬼ですよ、グワァラゴワガキーン!!!!
もう10年近く前のカメラであり、いくらFoveonセンサーといえど最近の発展凄まじい最新ミラーレスカメラにはすべての面で負けています。
最新のベイヤーセンサーは、Foveonに負けないくらいの描写を機械的にやってくれるので、素人目ではその違いに気付かないと思います。
ですが、実際の写りを見るとmerrillの写真はフィルムに似ている、それも中判フィルムの写真に似ているんです。
数値では計測できない質感や空気感なので、非常にバイアスがかかっているけれど、感じるもんは仕方ないだろう!
そもそもsigma dp2 merrillを買ったのは、プラウベルマキナ67のせいで中判フィルムの写真に面食らったから。
「中判・・・すげえぜ」
となったのだが、わずか10枚しか撮れず、察しの通りものすごくカネがかかる。
実家が太いわけでもなく、意識低い系サラリーマンなので、「中判フィルムばりの写真が撮れるデジタルカメラがあれば・・・」と思うのは必定!
しか~し、当たり前だが中判デジタルカメラは、チロルチョコでマインクラフトができるくらい高額なのだよ。
そこでsigma dp2 merrillです。なんせライバルは中判フィルム!ですからね。
結果として、写りは非常に満足。
扱いづらさも、プラウベルマキナ67に比べれば糸電話とiPhoneくらい違うので楽勝。
むしろ最近のカメラは世話焼きの親戚のおばちゃんみたいなもんで、鬱陶しいのである。
撮れなければ帰れば良い。バッテリーはいっぱい持てば良い。そもそもカメラが軽いだろう!液晶が見辛いなら己の視力をあげよ!何だったら常に三脚をつけとけば良い。三脚に生えたカメラだと思えば良いじゃないか。
いつものように話が逸れまくって未開のジャングルに強行着陸していますが、この菅野直のようなカメラだからこそ、撮影が楽しいのです。
撮影が楽しい、ならば良し!なのです。
・・・でも本当はSonyのα1とiPhoneが欲しいなんて、口が裂けても言えないんです。
なんせ、sigma dp2 merrillはカルトだから。
偶像崇拝の邪教集団、それこそカメラを愛するものなのです。
最近のメインはnoteなので夜露死苦です。
SIGMAさんの回し者ではないですよ。偶然趣味が合うんです(笑)
真面目な記事も書いています。
YOUTUBEで一獲千金当てて、Foveonの8×10センサーカメラを作って熱中症でうなされたい!