SIGMA fpで海をスローシャッター撮影してみた~人間と自然と解釈について~
SIGMAfpは、コンポジット低ISO拡張機能を使って「ISO6」での撮影ができる。
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ISO6ともなればNDフィルターを使用しなくても、スローシャッター撮影ができてしまうのだ。とっても便利!
今回は海でスローシャッター撮影してみた。
夕暮れの海の浜辺。
F16まで絞れば、ISO6だと5秒くらいのスローシャッター撮影が可能。
完全に静謐な世界になるのではなく、僅かに波のうねりや色の濃淡が出るのでかなり好みの写真になった。
印象派の油絵っぽくなるね。
スローシャッターなので全体的な光がフラットになる。
この均一な空間は、自然界ではありえないわけで、だからこそ表現としては面白くなるのだ。
夕日の反射している部分を撮る。
スタジオで撮ったような均一で人工的な光の中で、ありのままの世界を人間の目ではありえない時間軸で写真にする。
これは、機械による自然環境の歪曲なのであろうか?
ことポストモダニズム以降、西洋哲学的な「自然への上から目線」が否定的なニュアンスで取られやすいので、この写真は人間中心主義的な人工表現に見える。
しかし、ありのままの世界を人間では意識できない視覚的表現にする=自然な時間任せだと僕は捉えている。
なんせ結果が出るまで、どうなっているかさっぱりわからない。
何枚も撮っていると、ある程度予想はできる。だがそれは技術的なレベルであり、天気予報みたいなものだ。
あるがままの世界を、ある時間という絶対的な制限の中に委ねる。
これがスローシャッター撮影の楽しさだと思う。
目の前の状況を自分で見ておきながら、結果がわからないのだ。
これは世界への敗北であり、人間らしい戯れであると思う。なんせそれを撮っているのはカメラだからだ。
カメラは絞りとシャッター速度により、光を抑え込む捕獲容器である。
多少の誤差はあるが、基本的に人間が得る視覚情報に近づけるために設計されており、だからこそ記録する価値がある。
しかし、スローシャッター撮影はそれとは違う。
これは「遊び」だ。
こういう遊びを楽しめるのは、人間だけだろう。
人間は自然を解釈する。
その解釈方法は少々強引で、たとえば犬を「犬」と解釈すればチワワだろうがゴールデンレトリバーだろうがすべて「犬」となる。
日本人は蝶を見て美しいと感じるが、蛾を見ると気味悪がる。でもフランス人は、蝶も蛾もパピヨン (papillon)で区別はない。
でも1+1=2であるし、店に並んでいるリンゴと自宅のテーブルの上にあるリンゴは違う。
「人間」が運転している「車」であるから、「信号」が赤になれば止まるだろうと思って生きている。
他の生物は、この解釈の基準すらわからないだろう。
なぜなら当の人間でさえ、深く考えてもいないのだから。
スローシャッター撮影により生まれた写真は、ある意味究極の偶然である。
そこに人間はユーモアと好奇心を感じ、新しい解釈を行う。
この奇怪な行動は、人間らしさの象徴でもあるのだ。
SIGMA fp +Leica Short film『sea』
動画でも海を撮っています。