令和時代の世界一周旅行~バックパッカーの歴史とインターネット~

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僕が世界一周旅行をしたのは、2014年。

今思えば、従来の世界一周旅行の転換期であったと思う。

SNSが勃興し、バックパッカーの装備も軽量化され、LCCなどのサービスが拡大した時期であった。

そこで今回は、日本の世界一周旅行とバックパッカーの歴史を書いてみようと思う。

そしてそんな歴史から、令和時代の世界一周旅行とはどうなるのかを考えてみる。

 

 

 

 

世界一周旅行の変遷

世界一周旅行といえば、初代は間違いなくマゼランではあるが、所謂一般人が世界一周旅行をし始めたのは第二次世界大戦後である。

世界的な交通インフラが整備され、先進国の若者がヒッピームーブメントなどに押され、続々と海外に飛び立った。

70年台にもなれば、日本にも世界一周旅行を行うバックパッカーが現れてくる。

 

何でも見てやろう期(ヒッピー期)

何でも見てやろう (講談社文庫)

何でも見てやろう (講談社文庫)

 

日本のバックパッカーの初代バイブルは「何でも見てやろう」だろう。

のちの反戦運動家でもある小田実氏の著作は、 当時の先進国の若者を斡旋したヒッピームーブメントに見られる「豊かさの罪」を醸し出しつつ、日本の閉鎖性を描いた名作だ。

当時の大人が見れば、「ふん!」と一笑に付すような内容かもしれないが、情報が現在のように簡単にアクセスできない時代だからこそ、バックパッカー旅行とは若者たちにとって憧れの存在であった。

ケルアックなどのビートニクから派生したヒッピームーブメントなので、もちろん貧乏旅行なのであるが、貧乏といえどグローバル化以前の当時の所謂後進国の貧困は半端なく、また近代西洋国家が生んだ原理原則が庶民へ浸透する以前の状況であるから、かなりのカルチャーショックがあったであろう。

 

深夜特急期(自分探し期)

深夜特急1?香港・マカオ? (新潮文庫)

深夜特急1?香港・マカオ? (新潮文庫)

 

その後、80~90年台の若者たちのバイブルは「深夜特急」となる。

70年台のバックパッカーはヒッピームーブメントなどの、「政治的ななにか」を含有していたが、この年代のバックパッカーは「自分探し」の旅であった。

高度成長期の最高傑作であるバブル経済でニンマリの日本において、「果たしてこれで良いのか?」というウェルテルから続く若者の永遠の課題が、あえて貧しく、そしてあてもない放浪としてのバックパッカーが誕生した。

パッケージ旅行で団体客の日本人がエコノミックアニマルとしてグレムリン扱いされている時代、ソロでしかも現地の人達が使うような移動手段を使い、現地の無辜の民の生活をちょっと覗くことで、日本が豊かさのために排除した何かを求めるような、それでいて自分とは何たるかという解決しようのない命題を探す、あてもない旅。

 

 

 

アジアンジャパニーズ期(沈没期)

ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫)

ASIAN JAPANESE―アジアン・ジャパニーズ〈1〉 (新潮文庫)

 

90年代前後は、滞在沈没型バックパッカーも登場した。

移動型の旅ではなく、滞在型の定住である。

当時の沈没聖地であるインドやネパールやタイでは、日本でちょっと頑張ってアルバイトすれば、数カ月はぼーっとできた。しかも大麻付きだ。

移動とは、「口コミで聞いた聖地へ赴き気に入れば金の続く限り沈没するための聖地探し」でしかなかった。

現地で仕事をしてみたり、現地人の生活の場に踏み込んでみたり、ただぼーっとマリファナの煙を眺めていたり、そんな忙しい日本という国へのアンチテーゼなライフスタイルが流行した時期でもあった。

 

 

インターネット期

そんなバックパッカーの歴史に革命を起こしたのは、インターネットの大衆化である。

ずいぶん小さく格安になったパソコンがあれば、世界中どこでも情報を得ながら旅ができるようになった。

バックパッカーを悩ませていた、金の管理や航空チケットの手配が、ネット上でクレジットカード決済できるようになり、親に国際電話で泣きながら送金してもらうこともなくなったのである。

2000年台に入り、若者でもパソコンやタブレット端末、そしてスマートフォンなどを手に入れることができ、インターネット環境も世界で爆発的に広がっていた。

また格安航空LCCの登場で、資金面も大幅にハードルが下がった。

 

サバイバル時代の海外旅行術 (光文社新書)

サバイバル時代の海外旅行術 (光文社新書)

 

このインターネット期は、賢いバックパッカーが持て囃された。

高城剛氏のように、少ない荷物で、海外SIMを駆使しながら、賢く安くクールに旅をする。

装備は高機能かつ軽量で、インターネットを駆使し格安なチケットやホテルを見つけ、まだ知られていないクールな場所へ向かう。

このインターネット旅行術をクールに扱うバックパッカーが、イケてるバックパッカーになった。

かつての巨大なバックを担ぎ、トラベラーズチェックをパラパラめくっているバックパッカーは絶滅したのだ。

 

そしてブログとSNSの時代が訪れた。

上記の旅行術をブログやSNSで発信すれば、ただの貧乏バックパッカー大学生から、一躍有名人になれたのだ。

かつてのバックパッカーの自分探しの80%を占めていた承認欲求が、ブログやSNSの拡散という武器を手にし、爆発的かつ獰猛に進化したのだ。

かくいう僕もその一人、せっかく世界一周旅行するのであるから、一発あててやろうという淡い青春の一抹があったのは隠すことはできない。

当時、「TABI LABO」や「死ぬまでに行ってみたい絶景〇〇」みたいなサイトやネット有名人が溢れていた。

例えばウユニ塩湖と検索すれば、いいねが付きまくったウユニ塩湖の絶景写真や、日本からウユニ塩湖までの交通手段が詳細に書かれていたブログが腐るほど出てきた。

 

先程のカッコいい旅行術、カッコいいインスタばえな自分、それを発信することで承認欲求が満たされ、あわよくば富と名声が手に入る。

2014年当時、ウユニ塩湖はそんな大学生だらけだった。「GoPro」も出始めだったので自撮りしながらコメントしているYouTuberのはしりや、ひたすらクールな旅行術を喧伝したあとFacebookで友人になってくれという、まあそんなゴールドラッシュだったのである。

 

それまでのバックパッカーは、「けっ!日本で真面目に就職して死ぬまで働くなんてゴメンだね。世界一周旅行してる俺スゲー」という孤独な自画自賛だったのに対して、海外にいながら日本にいる友人や知り合いに俺スゲーができたのだ。

あ、基本的に僕は「俺スゲー」は素晴らしいことだと思う。俺スゲーしないんなら、生まれてきた意味がない。他者との差異を見出し、他者と比較することでしか、人間は自分の存在を確かめるすべを持たないからだ。日本の教育や社会において、この俺スゲーは完全に黙殺されているので、海外にまで出て俺スゲーする若者は希少かつ有意義な行為だと思う。たいていあとになって黒歴史にはなるが。

 

要するに、インターネット期のバックパッカーは、便利で格安な旅行術(しかしテクニックが必要)と、自己発信が主体であった。

自分探しではなく、自分発信な時代、それがインターネット期のバックパッカーであった。

このブログも、旅行中は旅行術をせっせと記載していた。

しかし先行者利益が存在し、すでに有名な旅行先は帝国主義戦争に陥っていた。

なのでバックパッカーはよりニッチかつインスタばえする場所を求めて世界に拡散した。

世界の絶景~が流行ったのも、これが原因だ。

Googleの上位ページのシェア争いが世界中で繰り広げられたのだ。

 

結局、ブログやSNSは自己発信による誰彼構わない承認欲求戦争を生んだ。そして現実世界と仮想世界という2つの世界を生み出した。

現実世界でうだつが上がらなくても、仮想世界であるブログやSNSで他者を見返し圧倒させることができるようになったのだ。

この仮想世界と世界一周旅行は親和性が高かった。

「世界一周旅行なんてすごい」と言われるが、実際やってみれば金とインターネットがあれば誰でも簡単にできる時代だ。

だがルーチンワークで刺激の少ない日本での生活に比べれば、毎日がイベントな世界一周旅行は自己発信のネタが尽きない。

そこで体験したことは、自分探しのピースではなく、如何に「ウケるか」でしかなかった。

結局、YouTuberに見られる企画型の作品の量産に繋がっていく。

そして過酷なシェア争いによる金太郎飴ブログやSNS写真は急速に飽きられ、さらにインターネットの超進化と情報供給飽和により、こういったメディアは姿を消していく。

 

僕のブログ記事、特に旅行中と直後のものは2010年台前半に流行った旅行術をメインに書いていた。

そのあと流行は、顔出しメディア化、動画、手軽なSNSへ繋がっていったように思う。

当時、「ブログで飯を食う」というキラキラワードがバックパッカーを焚き付けていたが、今やその隆盛はない。

今思えば、自己発信に大きくシフトを移した旅行であった。

あわよくば金儲けの情報発信が、旅の本質を変えていたようにも思う。自分の行きたいところよりも、少しでもウケそうなところへ。

僕の場合は、夫婦での旅行であり、ブログも小遣い稼ぎ程度として行っていたので、そこまでどっぷりハマっていたわけではないが、第2の高城剛を目指して頑張っていた若者は少なからずいた。

「Facebookで友だちになってください」「ブログの拡散お願いします」というのが挨拶になっていた若者もけっこういたのだ。そんな名刺もいくつかもらった。

便利さと引き換えに、旅の本質がガラリと変わったのが、インターネット期の世界一周旅行であった。

 

 

 

令和時代の世界一周旅行はどうなるのか?

とりあえず、2014年との比較を書いてみよう。

 

・インターネット環境はよほど僻地に行かない限り利用可能となった。

2014年でもネパールの山の中でWi-Fiがわりと早く使えた。その2年前、ネパールで高速Wi-Fiを探すのは至難の業であったが。

現在はさらに拡大しているであろうから、かつてのWi-Fi難民はいなくなりそうだ。

 

・LCCはもちろん、シェアリングサービス(Uber、Airbnbなど)が世界規模で拡大している。

格安での移動や宿泊が手近になっている。

特にシェアリングサービスを利用すれば、今まで滞在が厳しかった高物価国でも余裕を持って旅ができるだろう。

 

・グローバル化により、かつての安く旅行できる国の物価が跳ね上がっている。

2014年時点で、その数年前旅したときより、一部地域の物価が跳ね上がっていた。タイのバンコクはスタバだらけになっていたし、ベトナムの宿泊料が2倍になっていて驚いた。

現在もかつての安旅行国の物価が跳ね上がっている。これは経済発展もあるし、旧先進国の経済力の相対的低下もあるだろう。

今後、円はどんどん相対的に安くなるだろうから、できれば今のうちに旅行しておいたほうが良いと思う。

 

・世界の治安悪化

2014年は治安面でいえばギリギリ安定していた。

帰国前夜からISISなんかが現れ、世界中でテロが頻発した。

僕の旅行していた時は、危険地域に行かなければ安全と言われていたが、最近はパリのど真ん中でテロが起きたように、いつどこで何が起こるか想像もできないくらい危険が身近になった。

ちなみに僕が歩いた場所でもテロが起きている。

 

・キャッシュレス化

中国やインドでキャッシュレス化が押し迫っている。

旅行者にとっては、けっこう面倒なことも多い。詐欺もわかりにくいので、キャッシュレス化が進んだ国に行く場合は、しっかり調べておいたほうが良い。

 

・自己発信するならかなりのクオリティーを求められる

SNSやブログ等で自己発信なりマネタイズされたいのであれば、それなりのクオリティーが求められる。

写真や動画は高画質化され、GoProやドローンなども一般化されている。

ブログやHPも、スマホ対応は必須で、昔のような無料ブログテンプレートでは味気ない。

YouTubeは特にすごくて、プロ級の動画が溢れている。

 

・まとめると「便利だけど平面化され行く世界」

インターネットとグローバル化により、世界は平面化されていくだろう。

便利でアクセスしやすくより高品質になる世界、それは世界イオンモール化である。

イオンモールに行けば何でも手に入るし、安く高品質な商品や料理で溢れている。だが日本の地方都市に行けば、どこもかしこも同じような風景になってしまった。

郊外に巨大なイオンモールがあり、周辺にはおなじみの小判鮫企業が立ち並ぶ。駅前は寂れ、街の個性は消えていく。

こんなイオンモール化が世界中で繰り広げられるだろう。現にあのベトナムにマクドナルドやスターバックスが出店している。地獄の黙示録ファンには悲しい景色であるが、これも発展なのだ。

そして物価は上がり、グローバル企業が押し寄せ、現地の景色をグローバル経済合理性で均していく。

今や、よほどの僻地に行かない限り、日本にいるときのような生活も可能だ。

これを良いと見るのも悪いと見るのも、旧先進国の奢りであるが。

実際、旅行中に外国資本や旅行者が入ることで現地文化が破壊されたという話を何度も聞いた。とある東南アジアの山間地域では、民族衣装を着た女性たちが、バスターミナルに並んでいる。旅行者は、SNS用の写真を撮ったり、土産物を買う。現地価格の数十倍でも平気で支払うのだ。すると農業で汗水たらして働いた数カ月分が、たった一日で稼げる。そうなると、現地の文化は破壊される。

これからはこのグローバル化がさらに加速するだろう。

さて、世界はどうなるのであろうか?

 

 

・旅に何を求めるのか?

今や、世界一周旅行の希少価値は大きく減少している。

インターネットがあれば、情報だけは何でも簡単に手が入る。わざわざ現地に行かなくても、疑似体験できるレベルだ。

そんな中で、多額の出費と少しの危険を叩いて旅行するのに何の意味があるのか?

・・・と、考えるのは早計だ。

やはり旅でしか感じ得ない経験というのは、まだ世界にはたくさん残されている。

Googleでいくら検索しても、インドの列車の込み具合は理解出来ないであろう。僕なんか知らないおばさんにバックで殴られたからね。揺れを利用してね、アレわざとだよ絶対。

僕自身も、世界一周したことで大きく変わることができた。目に見えるような進歩でも、人生観が変わるほどの衝撃でも、全米が泣くほどの感動でもないが、とにかく楽しかったのだ。

この楽しかったという経験は、生涯僕の糧となるはずだ。

 

そして、日々の退廃的なルーチンワークの一瞬一瞬に、窓の外を眺めてこう思うのであった。

『ああ、インド行きてえ』と

 

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今はもちろん世界一周ネタがないで趣味ブログになってしまった。

あ、キャンプ楽しいですよ。