コロナ禍と写真

note.com

noteにコロナ禍と写真について書いた。

まとめると、コロナ禍の移動制限により写真のテーマという名の分節が明確となり、その分節が利便性を生む反面、官僚機構的な束縛感を生んでいるというお話。

何事も体系的に分類し管理されることで人間の認知能力との相性も良くなり、ひいては人が集まり情報が情報を生んで巨大なシステムとなっていく。

現代はそれを資本主義経済が飲み込み、ひとつの生態系としてシェアという名のパイを勝ち取る。

 

写真とは大別すると完全な消費社会の体制側であるメディアの武器であり、反体制側のアートや趣味における表現媒体となっている。

この両輪は矛盾を抱えつつも歴史を育み、分節が新たな分節の胞子を撒き散らすことで『写真』は多角的かつ広大なテーマの無数のカテゴリが空間を占める宇宙になった。

そして現在、この利便性と商業主義の愛着関係による『写真』の分節化は、その極致を迎えた。

要するに必要がなくなったのである。することがなくなったのだ。

 

写真は分節を繰り返した結果、無数の模倣の屍と不要な機能の展示場となった。

写真が持つ本来の記録としての情報という意味=価値が、スマホの到来により完全に生活の一部となってしまい、『写真』ですらなくなってしまった。

それは写真ではなく、SNSなどの素材であり、記録ですらなくあって当然なものになった。その価値は手段でしかなく、材料なのだ。

利便性の極致とは、単なる素材なのだ。写真の持つ歴史的な価値は脱構築されてしまった。

だからこそ、「スマホで十分」なのである。

 

tabing.hatenablog.com

中平卓馬が敵視していたのは、まさしくこのテーマの量産に対する商業主義であった。

カメラと写真が持つ価値を薄くスライスしてふやかしかさ増しすることにより、個としてのアイデンティティは消失してしまったのだ。

中平卓馬がプロヴォーグのアレブレボケの手法を即座に捨て去ったのは、アレブレボケが一分野の時代を象徴とするカテゴリに埋没させられたからだ。

この一見すると弁証法的止揚にも思える「進化・発展」こそが写真の死であると中平卓馬は見抜いていた。

しかし、経済成長万能主義のあの時代において、歴史とマネーの強い力により跳ね飛ばされた中平卓馬は撮影者のアイデンティティの喪失に陥る。

分節の逆行は、撮影行為の原点回帰であり、その極致は絶望的な撮影者の存在否定だったのだから。

故に中平卓馬は斃れたのである。

 

そう考えると、写真とはそもそも不自由なものだったのだ。

もちろん技能的な不自由さはあった。それは広告により改善されたように見えるが。

そうではなく、写真とは限界があるというテーゼなのであり、それを否定するかのごとく邁進してたどり着いた極致が陳腐化であったというのは非常に滑稽なお伽噺のようだ。

だがしかし、写真はだからこそ潰えることがないともいえる。

中平卓馬の希望はたしかにそこにあったはずだ。絶望の淵において濁流に身を晒しながらも中平卓馬が睨みつけていたのは、回収されてこなかった写真のアイデンティティだったのだ・・・と思う。